「泥臭く粘れるのは若さの特権」藤田晋が“伝説の雀士”から学んだ2つの哲学
実社会で最後に生き残るのは…
また、1人で大負けしていると、「なんとか挽回しなければならない」と気負って、やはり無理をし、自滅してしまいがち。麻雀というのは「チャンスが来るまで待つ」という忍耐力を競うゲームでもあるのです。
それは実社会でも同じこと。最後に生き残るのは、やはり忍耐力のある人です。麻雀というゲームには、不条理な要素が満ちています(自分は何も悪いことをしていなくても、ツモられまくって点棒を失ったり、何度も連続でリーチ負けしたり、早いテンパイで多面待ちなのにアガれなかったり……)。
ですから、理不尽な形ではからずも劣勢に追い込まれてしまったとき、そこで「開き直る」のは禁物です。「開き直る」というと聞こえはいいのですが、実際は「早くラクになりたい」という欲望に負けてしまっているだけなのです。
「何が起きても自分のせい」
また、麻雀の途中でキレることも当然、良くありません(無謀な勝負に行く人と、怖くなって極端に「降り」を選択する人、両方のタイプがいます)。キレるというのは、我を失うことと同じです。我を失った人は、相手から見れば格好の餌食。結局、キレたらそこでゲームオーバー。敗北してしまうのです。
また、これとて仕事においても同じこと。上司や取引先、先輩、同僚に、思わずキレそうになったことなんて誰にでもあることでしょう。でも、最後に微笑むのは、いつも忍耐強く、我慢強く、ゲームを投げ出さなかった人だけ。つまり、心を強くして耐えることが大事なのです。
桜井会長はさらに、「言い訳をするな」とも教えてくれました。当時の私は、遊びたい盛りの18歳。道場にお金を払って「遊び」に来たつもりなのに、そんなことを言われたため、理不尽な気がして正直なところ“不服”でした。
しかし、敬愛してやまない師匠の教えです。グッと我慢して従いました。この教えは、その後の私を何度も助けてくれました。「何が起きても自分のせい」というマインドを桜井会長に叩き込まれたおかげで、経営者としても、1人のビジネスパーソンとしても、信用されやすくなったからです。