綾野剛が大河で演じた「悲劇の大名」。将軍の“裏切り”から朝敵に
肌身離さず持っていた竹筒
容保は、長さ二十センチほどの竹筒を肌身離さず持っていたが、死後、それを開けると、なかから孝明天皇の御宸翰(直筆書簡)と御製(自作の和歌)が出てきた。一通は、容保が文久三年(一八六三)の八月十八日の政変で尊攘派を朝廷から駆逐したときに賜った宸筆だった。孝明天皇は過激な尊攘派を嫌い、公武合体政策を支持していたから、以下のような文章が記されていた。
「憂患掃攘(尊攘派を一掃し)、朕の存念貫徹の段(私の願いを貫いてくれたのは)、まったくその方の忠誠にて、深く感悦のあまり、右一箱これを遣わすもの也」そう容保を讃え、箱に入った和歌二首を贈ったのだ。
「私は朝敵ではない。世間が何と言おうが、天に恥じることはない。亡き孝明天皇が最もご信頼くださったのはこの私なのだから」。もちろん容保は、生前そのような弁明をする人ではなかった。ただ、この言葉を心の糧に後半生を生き、そして静かに逝った。それが、会津武士の生き方だからである。
<TEXT/歴史研究家 河合敦>