メンタリストDaiGoの差別発言大炎上に見た「教祖ビジネス」の危うさ/常見陽平
ユーザーとの近さはときに仇となる
DaiGo氏の炎上により、YouTubeなど動画でメッセージを伝える「教祖」と「信者」のような関係についても考察が必要だ。以前、YouTubeでのプロモーションを手がける方から「マーケティング手法がテレビとは異なる」という意見を聞いたことがあった。
大きく違うのは発信者とユーザーの距離の近さだ。スマホの画面で見ている物理的な近さだけではなく、インフルエンサーは、ユーザーに語りかけてくれる存在で、なおかつロールプレイングゲームのプレイヤーキャラのように、自分の代わりに何かと戦ってくれる存在と見られているようだ。
インフルエンサーを支持する人たちは、マスではなく1人ひとりの個人レベル。親近感をおぼえている人たちとの間だけで内容が共有されていればよいが、それ以外のコミュニティに漏れると、内輪の発言が命取りになってしまう。その図式はさながら、部室で意気揚々と下ネタを語っていた男子高校生同士の会話が、気が付けば全校生徒にダダ漏れだったときと同じようにも見えてくる。
だからと言って、筆者はSNSやインフルエンサーそのものを否定したいわけではない。リスク対策をきっちりすれば、意義あるツールであるのは変わりない。プールサイドで会話しているつもりが、実は海だった、密室のつもりがだだ漏れだった。そのプールサイドや密室での論理が通じるわけでもないし、その場だからよいという話でもない。これもSNSの現実だ。
<TEXT/千葉商科大学国際教養学部准教授 常見陽平>
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