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映画『スタンド・バイ・ミー』を深く読み解く“5つのポイント”。劇中の「車」が象徴するのものは

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3:車は大人になってしまった象徴

 本作でもう1つ注目してほしいのは、車(自動車)です。なぜなら、劇中で車は「大人になってしまった象徴」として使われているからです

 ファーストシーンは、大人になったゴーディが車の中で、クリスがナイフで刺されて亡くなったと言う新聞の記事を読み、さらに自転車で去っていく2人の少年を見ていた……というものでした。ここから、かつての親友の死を知るという悲しさに加えて、「自分もあの時の少年ではない」ことが示唆されていると思うのです。

 4人の少年たちは自分の足を使って、泊まりがけで少年の死体を探しに出かけていきました。一方、エースたち不良は車であっさりとその場所まで駆けつけていました。これは、大人になれば車に乗ってあっという間に辿り着いてしまう道のりも、子どもの時には大冒険にだってなり得る。そこにこそ、かけがえのない体験がある……という皮肉込みの事実の提示になっているのです。

 さらに冒険の途中で、クリスは身を挺して「線路の上で汽車をギリギリで避ける度胸試し」をしていたテディを救いました、一方で、エースは車に乗ったままトラックに突っ込もうとし、一緒に乗っていた友人はそれを止めることができませんでした。この時の車(大人になること)は「制御できずに暴走してしまう」ことの象徴にも思えます

 とはいえ、本作が車(大人になること)をただ否定して終わるわけでもありません。何しろラストシーンで、父親となったゴーディは、2人の子どもと共に車で出かけていくのですから。これは、クリス冒険の途中でゴーディに言っていた「おまえの父さんになりたい」という願望を、ゴーディ自身が成り代わって実現したシーンとも言えるでしょう。

4:死と向き合うためにできること

 劇中の冒険の目的は「行方不明になった少年の死体を見つける」こと、そして大人になったゴーディがその少年期の出来事を綴ったのは「クリスが亡くなったと知った」ことが理由でした。劇中で展開する二重の物語は、どちらも「死」が発端になっているのです

 少年の死体を見つけたゴーディは「なんで死ななきゃならないの」と言い、さらに自身の境遇に転換して「兄じゃなくて僕が死んだほうが良かったんだ」と悲観してしまいます。そんなゴーディでも、最終的には自分たちが見つけた少年の死体を不良たちに奪われることを良しとはせず、拳銃を手にして立ち向かうのです。

「死」とは、いつも理不尽な「結果」です。死んでしまった者は生き返らないし、どうすることもできません。しかし、だからこそ、この『スタンド・バイ・ミー』の物語は「過程」こそが大切なのだと訴えていると思うのです。

 例えば、少年の死体は結局は匿名で通報されたわけで、4人が冒険に出ようが出まいが、その結果そのものは変わらなかったでしょう。だけど、この冒険を通じて4人はお互いに新たな価値観に教えてもらって大人への一歩を踏み出し、そして少年の死を悼むための戦いにも勇敢に立ち向かった。その過程、転じて「思い出」は誰にも脅かされないものです。

 弁護士になった大人のクリスは刺殺されてしまいましたが、死の直前に彼が争いを止めようとした、やはり優しくて正義感の強い性格であったこと、そして彼の思い出を綴ることで、ゴーディは彼が生きていた証を確かめることができました。理不尽で残酷な死に立ち向かうには、その人の「物語」を語ることにもあるのではないか……そう訴えられているかのようでした

 そしてラストシーンは、ゴーディが「あの12歳の時のような友達は、もうできない。もう二度と……」で文を締め括るという、とても切ないものでした。しかし、それでも、少年期の思い出は決して消え去ることはないですし、その時の体験や冒険があってこそ、今の自分がある、ということも、大小の差はあれど全ての大人に通ずることでしょう。だからこそ、『スタンド・バイ・ミー』の物語は、圧倒的なノスタルジーに浸らせてくれるのです。

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