オードリーも出演「関東芸人の聖地」がコロナで存続の危機。管理人が語る、逆転の一手
お笑い専門の劇場になるまでの歴史
当初は「お笑いにはまったくツテがなかった」というこの劇場。出演者のブッキングや企画にも苦労したといいます。
「最初はノウハウのあるシアターDさんにお願いしてブッキングを担当してもらうこともありました。その後は見よう見まねです。芸能事務所に営業をしたり、自分たちで企画を考えました。徐々に芸人さんの間でもライブができる劇場があるという口コミが広がり、芸人さんの中には企画を持ってくる人も出てきました。そこから次第に、お笑い専門の劇場になっていったんです」
そしてテレビで見ない日はないほどの人気芸人を多く輩出。かつてはオードリーやピン芸人時代の野田クリスタル(マヂカルラブリー)、アルコ&ピースなども出演していました。
「当時は本当にお笑いのライブができる劇場が少なく、劇場を借りるにしても敷居が高かった。中野twlは敷居が低くて借りやすかったと思います。また、芸人さんを始め舞台で表現をする方々のおかげで劇場は成り立っていました。ですから、出演してくれる芸人さんたちを応援しようという気持ちが代表やスタッフにもありました。そういった雰囲気もあったからこそ、多くの関東のお笑い芸人の方が中野twlの舞台に立ったのではないかと思っています。
管理人が見た“下積み時代のオードリー”
いわば“インディーズ芸人の聖地”、“若手芸人の登竜門”。有名になった芸人に対して、布施さんはどのような思いでいるのでしょうか。
「正直なところ、売れた方が他の芸人さんと比べて特徴的だったかというと、そういうことはないんですよね。迷いながらも本人が何かを見つけるんです。そして有名になっていくんです」
オードリーの下積み時代から売れていくまでの変遷も、布施さんは肌で感じていたといいます。
「オードリーさんはナイスミドルという名前の頃から出ていました。ナイスミドルのときはすごく迷っていたと思います。ネタがころころ変わったりしていました。見ていて1つきっかけになったと思うのが、春日さんの『Qさま!!』への出演です。今はクイズ番組になっていますが昔はスポーツ番組みたいなことをやっていたんです。潜水の記録を競う企画に春日さんが出始めて、体を鍛えて大きくなっていって。そのなかで徐々に芸風も変わっていき、今の漫才が出来上がっていったように思います。そこからはライブ界では人気のコンビでしたね」