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孤高のカルト芸人・永野が語る、デビュー前夜「あこがれの存在だったのは…」

暮らし

「嫌がらせ」の芸風は中学時代から

永野

――永野さんの高校時代は、ちょうど『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の人気企画「お笑い甲子園」が放送された時期と重なっていたように思います。出場してみようという思いはなかった?

永野:番組のスタート当初はすごく見てたんですけど、高校くらいから裏で『(ダウンタウンの)ごっつええ感じ』がはじまって。もちろん今振り返ればどっちもリスペクトですけど、当時は『ごっつ』のほうが新しく感じて、「お笑い甲子園」は見てなかったんですよ。

 ただ、うろ覚えですけど、漫才やるにしてもできないと思って出場しなかったイメージはあって。相方もいないし、漫才のやり方もわからないし、大会に出場する勇気もないしっていう。いまだにそうなんですけど、僕のなかで「面白い」と「コンテスト」は別物なんですよね。

――では、学生時代に文化祭でネタを披露するようなこともなく?

永野:そういうのはなかったですけど、中学校の頃に嫌がらせみたいなのはしてました。たとえば音楽の授業で映画を観るレクリエーションの時間があって、先生から代表してビデオを借りてくるように指示されたんです。僕、ウケると思って『嗚呼!! 花の応援団』を選んで持っていって。冒頭でいきなり一人エッチのシーンからはじまるから、先生にめちゃめちゃ怒られたり。

 あと、みんなが見てる前で誰かの悪口を言って帰る、みたいなこともしてましたね。だから、今とやってることが変わらないんですよ(苦笑)。吉本新喜劇とかも見てたし、あこがれはあるんです。けど、それができない劣等感なんでしょうね。

お笑いやりたいのにできない地獄

永野

――高校卒業後に上京して専門学校に進学されています。この時期は芸人を目指していたんですか?

永野:高校くらいからお笑いやりたいと思って、ウッチャンナンチャンさんとかを排出してる日本映画学校(2013年に閉校。2011年より日本映画大学が開学)に友だちと行こうとしてたんです。そしたら、ソイツが渋りはじめて、そうこうしてるうちに入学願書を出すの忘れちゃったんですよ。

「マジで人生終わった」って思ったんですけど、東京には行きたかったから、とりあえずって感じで専門学校には入って。けど、いざはじまったらほとんど学校にも行かず、お笑いの修業するわけでもなくって生活を送ってました。

 本当にうずくほどお笑いやりたくて、「革新的なデビューを飾ってやる!」って理想ばっかり高かった。それでいて、アウトプットの仕方がわからないっていう地獄の状態。その時期は、人生のなかで一番鬱っぽかったですね。

――とはいえ、その後に大手事務所のオーディションをパスして芸能界デビューされています。

永野:23歳でホリプロに入れたときは嬉しかったですね。オーディションでほかの人たちが漫才とかコントしてるなかでキワモノ的な芸をやって、マネージャーから「キチ○イだ」って褒められました。ただ、度が過ぎて5年後にクビになりましたけどね(苦笑)。

 最近、デビュー間もない僕を知ってる人に会ったんですけど、「芸風がまったく変わってない」って言われました。個人的に漫才とかで「はい、どーも」って入って披露してるの見て、「気取ってんじゃねーよ」みたいに思っちゃうタイプなんですよ。変な顔とかバカなマネとかして笑ってもらうのが、僕の初期衝動の部分なんですよね。

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