「変態」な部分は誰にでもある…玉城ティナが語る、演技と学生時代
“向こう側”にはまだたどり着けていない
――玉城さんも、登場人物たちが抱いていたような閉塞感を学生時代に感じていたことはありましたか?
玉城:そうですね。私も地元のなかでしか生きていなかったので、「ここではないどこかに行きたい」みたいな感覚は常に持っていましたし、その部分はいまでも通じているように感じています。
――劇中では、春日と仲村が“向こう側”を目指そうとしますが、いまは“向こう側”にたどり着いた感覚をお持ちですか?
玉城:“向こう側”という表現はものすごくしっくりきましたが、いまでもまだたどり着いたとは思ってないですね。というよりも、届かないから求めるんじゃないかなと感じています。
セリフでも「向こう側は仲村さんのなかにあるんだよ」みたいな言葉があるんですけど、本当にその通りだなと。つまり、自分のなかにある“決して届かないもの”をみんな求めているんですよね。だからこそ、そのためにやるべきことは明確ですし、そのことをちゃんとわかっていればいいんだと思います。
他人と違っている部分は「誰にでもある」
――仲村は自分のことを「変態」と呼んでいますが、玉城さんにも他人と違うところや変わっていると感じる部分はありますか?
玉城:私も含めてですが、それは誰にでもあるんじゃないかなと。でも、人と違うことを隠そうと努力している姿は、面白みがありますよね。「自分はほかの人と一緒だから安心」と思っているよりも、そういう危うさみたいなものがあったほうが楽しいんじゃないでしょうか。
――ちなみに、ご自身はどういう学生でしたか?
玉城:先生とケンカすることもなく、どちらかというと従うタイプでしたし、授業中もすごく真面目に聞いていた生徒だったと思います。ただ、学生時代の友達に会って話を聞くと、当時思っていた自分の印象とあまりにも違うので驚くこともあります。
なので、記憶というのは改ざんされるものなんだなと最近感じていますね(笑)。でも、他人からすると、私の立ち位置やキャラクターはこういう風に見えていたんだというのを知ることはものすごい発見でもあります。