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渡辺大も驚いた、明治時代の経営者「“企業の利”以上に哲学を持っていた」

暮らし

明治時代の創業者は他者優先的だった

ある町の高い煙突

『ある町の高い煙突』©2019 Kムーブ

――100年も昔、“企業の社会的責任”という概念はなかったと思いますが、淳平はなぜこのような先進的な考えをもっていたのでしょう?

渡辺:淳平である実在の角弥太郎は、非常にロジカルな人間で、日立鉱山に来るまでに勤めていた小坂鉱山でもいろいろなことを吸収して、自分の知識にしていました。そこで得た知識を頭の隅に置いておくのではなく、実際の現場で活かしたかったんだと思います。

 それに、昔は“哲学”を持っていた人が多かったように思いますね。例えば、吉川さんが演じた木原吉之助は36歳で日立鉱山を開業した久原房之助で、彼の会社は後に日産コンツェルンへと発展しました。彼は多くは語りませんが、企業にとってはリスクだった煙突の建設も、多くの社員が反対するなか、実施する決断を下しました。

 まさに、“企業の利”以上に哲学を持った強いリーダーですよね。以前、パナソニックの創業者である松下幸之助のドラマにも出演しましたが、昔の創業者って「皆がよい暮らしができるように」「会社の利益を皆に還元しよう」という、会社や従業員だけではなく、消費者や地域の人々をも思いやる他者優先的な考えが企業理念としてあったような気がします。

青年会のキャストでLINEグループを作った

――共演者の井手麻渡さんが演じた三郎は農民・住民側の代表として、淳平とぶつかりながら友情をはぐくみ、一緒に煙害に立ち向かいます。撮影現場でも、キャスト同士がぶつかり合い切磋琢磨したというようなことはあったのですか?

渡辺:僕はやはり企業側の加害者だったんで、撮影現場では農民側のキャストとあえて触れ合わないようにしていました。三郎を励ます青年役を演じた伊嵜充則君なんかは、とても熱い方で農民の青年会のキャストでLINEグループを作り、いろいろと話し合っていたようですよ。「あ~あ、俺は入れないんだ……」なんてがっかりしましたが(笑)。

――企業側のキャストでLINEグループは作らなかったのですか?(笑)

渡辺:企業側には吉川(晃司)さんと螢(雪次朗)さんぐらいしかいなかったですしね。渋いグループになりそうだけど、そもそも彼らはLINEなんかやるのかなぁ(笑)。

危うい足場と命綱なしで建造された「世界一高い煙突」

渡辺大

――実際に映画を観て、明治人と現代人のメンタリティはかなり違うなと思いました。

渡辺:明治時代は、西洋の列強と並ぶために富国強兵策が行使されましたが、それを一気にやりすぎて大きな犠牲を払いました。この映画でも描かれているように、銅の生産が住民の命よりも優先された……。つまり、個人の命よりも国家が最優先されていたわけです。

 人間って、大変な状況にある人ほど「生きているうちに何ができるか」「死ぬ前に何をすべきか」ってことをよく考えている。先が見えないからこそ、明治人は明確な“理想”や“死生観”をもっていたんじゃないですかね? だからこそ、彼らは理想の90%を実現するのは無理でも、数パーセントの可能性に情熱をかけられたんじゃないかなと……。

――日立銅山の大煙突は倒壊してしまい、現在では50メートルぐらいになっていると聞きました。

渡辺:だって、あの150メートルの大煙突は、あんなガタガタの足場で、命綱もなしで造られたんですよ! 今だったら労災もあるけれど、あの時代はそんな補償もないのに「とにかくこれを造るんだ」という気持ちでだけで人が動いていたんです。明治時代の人には本当に敬服の念しかないですね。

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