驚きの肩パット!昭和すぎる「バブルファッション」の違和感<昭和VS令和>
日経平均株価が史上最高値3万8915円を記録した1989年(昭和64/平成1年)を頂点に、日本に巻き起こったバブル景気。昭和61年から平成3年までの、「日本が最も元気だった」とも言われる時代ですが、経済以外にもさまざま文化や流行が生まれていました。そのなかには令和の現在からすると、にわかには信じられないブームまで――
【昭和】バブル世代を象徴?肩パットはなぜブームになったのか
■「肩パットの厚みは、財布の厚み」という主張
バブル全盛のファッションと言えば、男女とも肩はばが広く、逆三角形のシルエットが思い浮かぶかもしれません。女子大生ブームをけん引し、当時最も売れていたファッション雑誌のひとつである『JJ』のカバーを眺めてみても、あるいは当時の人気ドラマ『君の瞳をタイホする!』(昭和61年、フジテレビ系)、『あぶない刑事』(昭和61年、日本テレビ系)の俳優陣を見てみても、やたらと肩はばが広いです。
これは当時の日本人が肩パット入りの服を着ていたからですが、なぜこれがカッコよさの象徴だったのでしょうか。
バブル世代の声を聞いてみると、「当時は肩パットつきのダブルのスーツで、ズボンはツータックが当たり前。毎日合コンがあったから、イケている格好でいないと遊びに行けなかった」「テレビドラマで陣内孝則さんや柳葉敏郎さんが着ているファッションをマネしていた。大きければ大きいほど良しとされていて、『肩パットの厚みは、財布の厚み』『男の自信が肩はばに現れる』と思っていた」(ともに男性50代)との声が。まさに日本が勢いのあった時代ですね。
肩パット本来の目的は、よく稼働する部位である肩回りが型崩れしにくくなるため、見た目(シルエット)を美しくみせるためですが、バブルの当時はある意味、自分に自信や貫録を出すためだったのかもしれませんね。
【令和】「脱スーツ」で「ジャケパン」が広がる
■若者の声は「好きな服装のほうが生産性が上がる」
一方、令和の時代のファッションはどうなっているでしょうか。バブル世代の男性の肩パットにはダブルのスーツの組み合わせが欠かせませんでしたが、昨今ではオフィスのドレスコードの多様化、コロナ感染の拡大でテレワーク(リモートワーク)が浸透したことで、ジャケットとパンツの組み合わせである「ジャケパン」を採用する会社が増えています。
これはIT業界だけでなく、一般的にお堅いとされている金融業界でも部署によってはジャケパンを認めることがあるそうです。令和時代に入社した若者がどう思っているのか聞いてみると、「決まった服装のほうがラク」「プライベートとの区別をハッキリつけたいから」とスーツを支持する声もありますが、「夏場はスーツだと汗だくで営業は大変」「好きな服装で仕事をしたほうが生産性が高くなる」と、やはりジャケパンを支持する声が大きかったです。また、なかには「在宅勤務になって今は完全に服装自由」という人もいました。
動きにくいスーツに比べて、身軽で、スマートなジャケパンは、令和世代だけでなく、これからのビジネスファッションとして、ますます定着していくでしょう。
<TEXT/bizSPA!取材班 イラスト/カツオ(@TAMATAMA_GOLDEN)>