業界の常識を作った「くら寿司」取締役が語る“最大のライバル”との闘い
外食の中でもひときわ熾烈さを極めるのが回転寿司業界だ。回転寿司チェーン各社とも、目に付くような広告を出したり独自性を打ち出したりするなど、創意工夫を凝らしながらシェア獲得に奔走している。
そんななか、業界2位の「くら寿司」は昨年から“第二の創業期”を掲げ、新たな事業成長を見据えている。同社の事業展望や打倒スシローに向けた取り組みについて、くら寿司株式会社の取締役を務める岡本浩之氏に聞いた。
近代回転寿司の礎を築いた「くら寿司」
くら寿司は1984年に大阪に1号店を開店して以来、四半世紀以上に渡って国内外問わず多くの人に愛されてきた。
「回転寿司の歴史の始まりは1958年。元禄寿司さんが日本初の回転寿司を東大阪に出したんです。それ以降、特許の関係で20年間は同社が業界を半ば独占していましたが、特許の切れた1978年以降は新規参入が次々と現れた。1979年のかっぱ寿司さんに続き、1984年には当社のほか、スシローさんも出店し、今の業界を作る大手回転寿司チェーンが次々と店舗を増やしていった」
こうしたなか、くら寿司は「近代回転寿司の礎」を築いてきたといえる。というのも、くら寿司が業界に先駆けて回転寿司のスタンダードを創ってきたからだ。
「当時の回転寿司は寿司職人を中心にした円形のカウンター席しかなかった。これだとビジネスパーソンが客層のメインになってしまい、子連れのファミリー層のお客様が入りづらい状況だったんです。そこで1987年以降、寿司のレーンを直線型へ変えるとともに、向かい合って座れるボックス席を設けた『E型レーン』を導入。今では回転寿司の常識となっていますが、ファミリーやグループのお客様にも楽しんでもらえるようにしました。」
寿司の廃棄を極力出さない改革を
次にくら寿司が着手したのは、安心安全の確保に取り組むことだった。それは、1996年、地元、大阪府堺市で起きたO157による集団食中毒事件の衝撃と、それによる風況被害がきっかけだった。岡本氏は「安心安全に関する意識が大きく高まりました」と言う。
「それまでも、1時間に1回、古くなった商品を取り除く作業を実施していましたが、より正確に管理することを目的に、1997年、お皿につけたQRコードで寿司の流れる時間を把握する『時間制限管理システム』を開発導入したのです。これにより、人間の目での監視に比べ、安全面では強化されました」
適正に寿司の鮮度を保つ「時間制限管理システム」を導入。しかし、その際に設けた厳しい時間管理の基準が、逆に足かせとなってしまう……。
「安全性は担保されましたが、廃棄する寿司の量が逆に多くなってしまったんです……。そこで打開策として考えたのが、『製造管理システム』でした。お客様の来店状況や滞在時間、寿司を食べる消費量などをもとに独自のシステムでスコアリングし、需要の予測をできるようにしたんです。これが功を奏し、廃棄量を従来から約3%に減らすことに成功しました」