「ただ言われたことをこなす人」がどんどん苦しくなっていく理由
こんにちは、Shinです。元戦略コンサルタントで、現在は某外資系企業で業務改善や戦略策定などに取り組んでいます。
今日のテーマは「“ただ言われたことをこなす人”がどんどん苦しくなっていく理由」です。
「与えられた課題を解く能力」を鍛えられた中高時代
ぼくは、高校生から大学生になったとき、あまりの環境の違いにがく然としました。
「目指すべきゴールが明確で、かつ他者から与えられている」という中高時代、「ゴールは数えきれないほどあり、かつ自分で何を目指すか見つけないといけない」という大学時代。この差は想像以上に大きく、ぼくは結局ここに適応することはできませんでした。
「ゴールを自分で設定する」という力をまったく有していなかった自分と、「ゴールを自分自身で設定しなければいけない」という大学の環境は、ビックリするほどアンマッチでした。
結局、日々なんとなく過ごしながら落第しない程度にごまかし続ける、という4年間を送ってしまったのです。その結果、ぼくは社会人として働き出してから、幾多の困難にブチあたることになってしまいました。
ぼくは、
「“自分でゴールを設定する能力”が大学や社会で求められているのに、なぜ小中高ではそのようなスキルを育てる教育がされないのだろう?」
「なぜ、与えられた課題の解き方を覚え、それをあてはめるような教育しかされないのだろう?」
と、疑問を持っていました。その答えは、「そのやり方が今まではもっとも効率が良かったから」なのではないでしょうか。
これまでは「ゴールは何か」頭を悩まさなくてよかった
製造業などいわゆる重厚長大のビジネスが日本を支えていた時代においては、「QCD(Quality,Cost,Delivery) = 良いものを、安く、早く」が差別化ポイントになっていました。
なるべくいいものを作るべく、日々の改善に邁進し、安く売れるように生産プロセスの適正化や原価低減を一生懸命実施し、早くお客様に届けられるようにサプライチェーンの最適化を実施する。これを突き詰めて実現できる企業が、勝っていくという仕組みでした。
そのため、大多数の人には「そもそも自分が目指すゴールはどこだろう?」とアタマを悩ます必要が少なかったのです。もちろんクオリティやコストの改善が簡単だというわけではないですが、ゴールそのものは与えられます。「原価はXX円で、この硬度を実現してほしい」という数値があるので、それをどう改善するか仲間たちと日々工夫をし続ければよかったのです。