受験エリートの転落人生…ドイツ文学の金字塔が描く、人生の深い意味
文学なんて時間の無駄、文学なんて読んでも儲からない、そんな時間があるならビジネス書を読む……。そんな感覚を持つビジネスパーソンは多いかもしれない。しかしそのような考えは、経営戦略の基本から考えても大きな間違いである。
多くの「デキる」ビジネスパーソンは経済紙、ビジネス雑誌、ビジネス書、ときに経営学書・経済学書・技術書などを読む。ライバルに後れをとらないためにもそうした読書は必要である。
ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』と受験戦争
しかし、他のビジネスパーソンと「差」をつけるには、他者と同じ情報を得ていてはダメである。経営戦略論の大家ポーターも指摘するように「Strategy is being different」だ。ビジネスパーソンがあまり読んでいないからこそ、いま文学を読むことは他者と違った価値(=差別化)につながる。
ただしそこには「読み方」がある。そこでこの「文学で“読む”経済」では、文学から社会と経済を読みとり、ビジネスに活かすという体験を、読者と共有することを目指す。
受験にそなえて難しい文法を暗記し、難しい数式を必死に詰め込む。数学教師が、聞かれてもいないのに「この数式は将来ちゃんと使うんです」と言い訳のように繰り返す。道徳の時間にこっそりと外国語と数学の勉強を内職する。
これが115年前の小説だと誰が信じるだろう。ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』である。
田舎出身者が出世できる数少ない道
この作品は、一時期まで日本の中高生や大学生のバイブルだった。本国ドイツでよりも日本でのほうが売れたといわれたこともある。それもそのはず、日本の受験戦争とそっくりの描写だし、その受験戦争を乗り越えた者がやがて挫折するというところも日本では「あるあるネタ」なのだ。
小学校・中学校までは神童だったのに……、という話はそこらへんに山のように転がっている。自分こそがその神童だったという方も多いのではないだろうか。まさしくそんな人の心に刺さること請け合いなのがこの『車輪の下』である。
主人公ハンス・ギーベンラートは片田舎の村に住んでいる。実家は中流よりは少し裕福だ。兄弟はおらず母親は早くに亡くなっている。理解に欠け、俗物で商売人の父親は、息子を「神学校にいかせテュービンゲン大学神学部に進ませる」という型にはまった期待を抱いている。田舎出身者が出世できる数少ない道である。