孤高のカルト芸人・永野が語る、デビュー前夜「あこがれの存在だったのは…」
かつては「孤高のカルト芸人」と称され、デビューから約20年の下積みを経てブレイクしたお笑い芸人・永野さん(45)。「ゴッホより~、普通に~、ラッセンが好き~♪」というフレーズで、不敵に笑う彼の姿を思い浮かべる方も少なくないだろう。
あれから4年。彼の興味は映画製作に向かっていた。11月29日に公開される映画『MANRIKI』では、原作・脚本を担当。本作の主演である斎藤工さんと共同プロデュースも務めるなど、決して片手間ではない意欲的な姿勢がうかがえる。
なぜ今、映画だったのだろうか? そのルーツを探るべく、幼少期や学生時代の思い出、デビュー前のエピソードなど、本人に直接インタビューを敢行した。
映画好きでオンオフを切り替える
――現在、お笑い芸人だけでなくマルチな活動をされていますが、どんな少年だったのでしょうか?
永野:最近親から聞いたんですけど、押し入れのなかでめっちゃ集中して本読んでるような子だったらしくて。家ではあんまりアクティブって感じではなかったですね。
学校では面白いヤツって感じなんですよ。ただ、プライベートになると「ずっと子どもと遊ぶのは嫌」みたいに思ってたタイプというか。自分も子どものクセに(苦笑)。いわゆる「暗い少年」ではないんですけど、オンオフを切り替えるところはありましたね。
――少年時代に好きだったバラエティ番組はありますか?
永野:宮崎に民放が2局しかなかったのもありますけど、小さい頃は欽ちゃん(萩本欽一)を見てましたね。それからドリフターズにいって、あるときから『ひょうきん族』のほうがレベル高いとか思いはじめるような、ごくごく普通の一視聴者(笑)。
あと、6つ上のアニキの影響なんですけど、『ゴールデン洋画劇場』がすごく好きだった。なかでも映画館で同時上映された『ブッシュマン』(現在は『コイサンマン』に改題)と『新Mr.Boo!アヒルの警備保障』が死ぬほど面白かった記憶があって。大人になってからブルーレイのBOX買いました。
当時、日本語の吹替をしていた声優・広川太一郎さんの言い方がめちゃめちゃ面白くて。どこかで自分のお笑いの要素になってるかもしれないですね。
――中学・高校時代、テレビでは「お笑い第3世代」の波が来ていた頃だと思います。
永野:まさに小6ぐらいでとんねるずさんの歌とかコントを見て、その後に出てきたウッチャンナンチャンさん、ダウンタウンさんに触発されました。とくにダウンタウンさんが衝撃的で、「うわっすごい! 格好いい」とか思って。あこがれの存在でしたね。