【話題の社長が実践する人生の処世術】400億円の負債を乗り越えて米ナスダック上場
人生山あり谷あり、という言葉がある。
仕事やプライベートがうまくいくこともあれば、ときに挫折を味わったりと、浮き沈みを経験するのが人の一生だといえるだろう。
そんななか、これまで幾多の困難が訪れては修羅場をくぐり抜け、激動の起業家人生を送ってきたのが、不動産関連の事業を営む株式会社シーラテクノロジーズ 代表取締役会長 グループ執行役員CEOの杉本 宏之氏だ。
幼少期の極貧生活、父にナイフで刺され流血した事件、業界最年少で上場させた名誉、400億に上る多額の借金を抱えての民事再生など、まさにジェットコースターのような人生を経験してきた。
そんな杉本氏にこれまでの半生で学んだこと、人生の処世術について話を聞いた。
昼休みも忘れるほど仕事に集中。20代前半でトップセールスに
杉本氏は学生時代、交通事故に遭って生死をさまよったり、母親を亡くし父の会社が倒産したことで生活保護を受けたり、 その後に父親が蒸発したりと、18歳までに相当なハードシングスを経験したという。
「生活環境は厳しく、父親も荒れていたことから、私自身もグレた生活を送っていました。高校2年生の頃だったか、父親と進路問題で大喧嘩して、刃物で腕を刺されたこともあります。でも、滴り落ちる血を見て『一度きりの人生、言い訳ばかりしていても仕方ない』と奮い立って、そこから受験勉強に真剣に取り組むようになったんです。神奈川の大学には補欠で受かったんですが、奨学金が間に合わず、結局は大学へは行かずに宅建の資格を取るために専門学校へ通いました」
杉本氏にとっては貧しい生活から一刻も早く脱却し、自立したいという思いが強く、宅建の資格を取得した暁には、すぐに不動産業界で働く意思を持っていたそうだ。
そのため、宅建の資格を取得したタイミングで専門学校を中退し、19歳で不動産のベンチャー企業へ就職する。
「当時入った会社では、誰よりも働き、努力することを肝に命じて仕事に打ち込んでいましたね。電話営業のノルマは1日400件でしたが、自分はなんでも120%達成を目指していたので、500件のアポ架電を日課にしていたんです。
今でも覚えているのが、お昼休みにランチへ行くのも忘れるくらい集中していたこと。上司に『おい杉本、ランチ行くぞ』と言われてもずっと気づかなくて。上司に机を叩かれて、ようやくランチの時間だと気づくほど、かなり集中していたんですよ。
そのうち、紹介や訪問などを組み合わせて効率的な営業方法も模索していきましたが、なぜか昔から懸命に努力する姿を見せなくない癖があって、黙々とやっていましたね」
その後、3年でトップセールスに上り詰め、22歳には最年少で課長に任命される。
実はプレイヤーからマネジメントへ興味を持つきっかけになったのは「抜擢人事で課長になった」ことだったそうだ。
「一人でできることは限界があるので、チームを組成し、影響力を大きくすることに段々とやる気を見出すようになっていきました。その頃は私と同年代である大学出の新卒メンバーが多かったのもあり、『20代前半の若い社員がトップの成績を上げれば、会社にセンセーションを巻き起こせる』と鼓舞しながら、チーム一丸になって必死で働いてましたね」
課長就任の1年目から会社内でトップの成績を収め、有言実行を果たした杉本氏は、2年目からは圧倒的な数字を出すことにコミットし、常に目標を高く持ちながらベンチャー企業の成長に大きく貢献した。