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ウィル・スミス“ビンタ事件”で浮き彫りになった「日米での温度差」と「偏った正義感」

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コメディアンのアドリブは日常茶飯事

オスカー像

Oscar academy awards gold statue trophy © Dimitris Barletis/Dreamstime.com

 そもそも政治風刺にしろ、容姿いじりにしろ、少なくとも誰かは不快になることが多いコメディ・スタイルが文化として定着しているアメリカにおいて、いくら侮辱されたからといって、手が出るということは、あってはいけないことなのだ

 日本では馴染みがないが、アメリカでゴールデンタイムに放送されている、最も有名なコメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』や、コメディ専門のケーブル局コメディ・セントラルの『ザ・デイリー・ショー』などにおいても、終始、政治家や芸能人へのディスりが展開されている。

 ジェイダに対するジョークは、リハーサルではなかったといわれているが、コメディアンがリハーサルにないアドリブを言うことは日常茶飯事。アカデミー賞の主催側も、それを踏まえて、コメディアンをキャスティングしている。従って、ウィルの行動は、主催側への冒涜とも捉えられてしまう。

 ウィルは、4月1日に自ら映画芸術科学アカデミーの会員を辞任したが、4月18日に予定される次回の理事会によっては、さらなる処分が下る可能性は高い。

日本メディアの取り上げ方にも問題が

 また、今回の騒動の日本メディアの取り上げ方にも問題がある。一部分だけを切り取り、アカデミー賞の全体の流れを知ってもいなければ、観てもいない、アメリカのコメディ・スタイルの土壌を全く知らない芸能人や文化人のコメントが相次ぎ、それに対して個人が拡散することで、本質的な問題点が見失われてしまっている

 馴染みがないからといって、日本の観点に置き換えるのではなく、アメリカのコメディ文化という土壌を考えたうえで、その立場に立って、考えなければ意味がない。

 今回のウィルに対しては、「仕方なかった」「男としてカッコ良かった」という暴力を容認するような意見が多くみられる。言葉の暴力はアップデートされていながら、物理的な暴力は保守的な概念が蔓延り、偏った正義感が浮き彫りになってしまった

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