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ファミリーマート初代CMOが語るモチベ維持のコツ「仕事はシミュレーションゲーム」

ビジネス

日本ではなく世界のスピードで経験を積む

清水:35歳のときに次のターニングポイントがありますが、これはどういう年だったんですか?

足立:シュワルツコフ・ヘンケルというドイツの化粧品会社で社長になりました。35歳までに社長になろうと思っていたので35歳で経営側に行きました。

清水:P&Gでマーケティングをやって、コンサルを経て、ヘンケルの社長。40歳を過ぎて、普通に会社員をしている私からすると、なかなか思いつかない選択肢なんですが、当時準備は万全にできていたんですか?

足立:そこは若干違うんです。50代や60代ばかりが社長になる国は、たぶん日本と韓国だけなんですよ。世界では結構大きな会社の社長は30代後半または40代前半が多いんですよね。政治家も同様でイギリスやフランスだと30代の首相や大統領もいます。

 実は出世するスピードは世界的に見ると日本と韓国だけ若干異質で、他の国は社長と言えば30代後半か40代前半でなるものなんです。実際に当時のP&Gの社長が35歳くらいで、それが世界では普通なんだなと身にしみてわかったので、日本のスピードではなく世界のスピードで経験を積んでいこうと考えていました。

清水:35歳のとき、実際に思い描いていた仕事はできていたんでしょうか?

足立:とっても大変でしたけどね(笑)。最初の仕事が営業のリストラとかだったので、20歳以上も年上の人たちをどんどん切っていくのは、精神的に大変でしたが、今となっては貴重な経験だったと思っています。

常にやりたいことには妥協しない

シゴトズキ

清水:その後、43歳もターニングポイントとなっていますが何があった年なんですか?

足立:東日本大震災が起こったことですね。私はP&Gにいた1995年に兵庫県の芦屋で阪神淡路大震災を経験して、東日本大震災のときは東京で震災を経験しました。自分の人生の中で地震を2回経験したことで「人生が明日終わっちゃうかもしれない。今、自分がやりたいことは妥協しないで全部やろう。いまの生活に安住しちゃいけない」と強く思うようになりました。

 私は世の中で“マーケティングの人”だと思われているんですが、実は30年以上サラリーマンをやっている中で、マーケティングの部署にいたのは12~13年なんですよね。業界を問わず活躍できる経営者になりたいと思って、35歳で経営者になって、上手くいきだして安穏としてしまう自分が嫌だったので、新しい経験をしよう、業界を広げていこうと一生懸命やっています。

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