西友とイオン「東西スーパーの歴史的な店」が閉店した深いわけ
東日本大震災でクローズアップされた問題
このような「古いスーパーや百貨店の閉店・建て替えラッシュ」は、東日本大震災などによって耐震化問題がクローズアップされることとなった2011年以降に多く見られた。
とくに2013年に施行された改正耐震改修促進法では、耐震基準が強化された1981年6月より前に建築確認が行われた一定規模の商業ビルは耐震診断結果を公表することが義務付けられるとともに、耐震強度不足とされた店舗は耐震化の目途を示す必要性が生まれた。それにより、多くの老舗百貨店や総合スーパーがその歴史に幕を下ろすこととなった。
この秋閉店した「西友高田馬場店」「イオン東山二条店」は、いずれもかなり古い「セルフサービス型スーパー黎明期の都心店舗」であった。それゆえ売場面積が比較的狭く、商業施設としては耐震公表義務がある規模ですらなかったが、当然いずれも旧耐震の建物であり、建て替えは避けられないと見られていた。なにより、通常この規模の繁盛店であれば、途中で店舗を建て替えられていてもおかしくない。
「UR団地再生事業」で姿を消す老舗スーパー
しかし、この2店には大きな共通点があった。それはいずれも「大都市の都心立地」かつ「店舗の上層階がUR住宅(旧・公団住宅)」ということだ。西友高田馬場店はJR高田馬場駅徒歩圏の「UR都市機構戸塚三丁目市街地住宅」の下層に、そしてイオン東山二条店は地下鉄東山駅から徒歩圏の「UR都市機構東山二条アパートパレス二条」の下層に出店していた。
それゆえ、店舗の拡大や建て替え等をおこなうことが容易ではなく、また耐震改修促進法に基づいて建物全体の建て替えをおこなうにしても居住者との調整に時間が掛かるため、耐震強化の波をくぐり抜けてここまで生き永らえることになったのであろう。
一方で、近年URは「団地再生事業」と題して、民間ディベロッパーと協力するかたちで団地の建て替え事業を進めている。その結果、ここ最近は半世紀以上営業し続けていた団地併設型スーパーの閉店や、新たな業態による再出店も多くみられるようになってきた。