西友とイオン「東西スーパーの歴史的な店」が閉店した深いわけ
この秋、東西2つの「超老舗スーパーマーケット」が半世紀以上の歴史に幕を下ろした。そのスーパーはいずれも規模は大きくないながらも、流通業界に名を遺す「歴史的店舗」であった。果たしてそれは一体どういう店舗だったのか、そして、なぜ「昔のままの姿」でここまで生き永らえることができたのか――。
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60年目の閉店!実は「ほぼ創業店」の西友
今年11月30日に閉店した東京都新宿区・高田馬場駅近くの総合スーパー「西友高田馬場店」。一見すると何の変哲もない、少し小さめの西友だが、実はこの店舗は東京オリンピックよりも前から営業を続けている「日本の超老舗スーパー」の代表格だった。
西友高田馬場店は東京オリンピックの2年前、1962年9月1日に「西武ストアー高田馬場店」として開店した。時の日本の首相は「所得倍増計画」で知られる池田勇人、そして米国大統領は翌年暗殺されてしまうケネディであった。
西武ストアー高田馬場店を運営する「西武ストアー」は1956年11月に西武百貨店の完全子会社として設立。同社は高田馬場店開店以前すでに10店舗ほどを展開していたが、大半が独立の店舗経営で各店の統一サービスはもちろん、現在のスーパーマーケットのようなセルフサービス方式もほとんど採用されず、赤字経営だったという。
アメリカ式の最新型セルフスーパーで脱赤字
高田馬場店はそのような経営状況を打開するための、次世代型スーパーの「実験店舗」となった。同店は開業時からアメリカで研修を受けた社員がそのノウハウを活かす店づくりを実施。「アメリカ式の最新型セルフスーパー」として、西武ストアーで初めてチェックアウト(現在に見られるようなレジ方式)を置いた店となった。
この高田馬場店の成功により西武ストアーは業績を立て直し、翌年・1963年4月の西友ストアー(現在の西友)発足につながった。つまりこの高田馬場店は、いわば「西友創業の店」であったのだ。
なお、西友高田馬場店の閉店後に「西友最古の店舗」となったのは西友上石神井店(東京都、1965年4月開店)。首都圏ではかなり古い店舗が多いイメージの西友だが、昭和30年代に開業した店舗はこれで姿を消してしまった。