「若者の政治離れ」という傲慢な声と“維新”の躍進。衆院選を今さら振り返る
「唯一の改革政党」が響いた?
また、今回名乗りを上げていた政党の中で「唯一の改革政党」とうたっていたのも支持者に響いたのではないか。隠れファンが増えつつあった印象で、筆者の周囲でもfacebookでの投稿で、維新支持を表明する人は、関西在住者と、経営者やコンサルタントなどを中心に散見された。「自民党ではないならばどの政党を信じるか」と考えた人たちの選択肢となったのが、今回の結果に繋がったといえる。
とはいえ、「自民党ではない何か」だけで躍進したと断じるのも雑だろう。実際、「自民党ではない何か」を主張していたのは、共闘した野党である。「利権か人権か」というキャッチフレーズや、「モリカケ」「桜」の問題、さらにはコロナ対応が十分かどうかなどをアピールした。しかし、必ずしも「自民党ではない何か」に選ばれなかった。
その自民党も「共産党と組むような政党」ではない何かをアピールしていたように見える。もちろん、選挙前に総裁選が行われ、新しい顔で望んだ選挙ではあった。しかし、実績をアピールしつつも、むしろ共闘バッシングに見えてしまった。
ベテラン議員の落選が相次ぐ
このように「○○ではない何か」選挙だったとも言えないか。結果、「自民党ではない何か」として議席を増やしたのは日本維新の会だった。
立憲民主党の辻元清美や小沢一郎ら、ベテラン議員の落選が相次いで目立ったのも、今回の衆議院選挙では大きなトピックだった。世代交代を象徴していたが、明らかなのは「国民はきちんと見ていた」ということだ。
自民党の幹事長を辞任した甘利明議員も比例での復活を遂げたものの、「落選運動」が行われたと自らテレビ番組などで訴えていた。幹事長という役職を得ながらも、最後は地元に張り付くという展開だった。
先述した辻本元議員はよりひっ迫していた。個人的には、国政での答弁は評価できる印象もあった。しかし、日本維新の会が支持を獲得している大阪で戦っていたのも災いして、現実として当選には至らなかった。