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大坂なおみの会見拒否が「自分勝手な行動」では決してない理由

ビジネス

テニスコートは社会の上に乗っかっている

大坂なおみ

© Zhukovsky

 大坂選手の行動によって、日本には「アスリートはスポーツだけやっていればいい」という考え方をする人が多いことがわかったわけですけど「アスリートはスポーツだけやっていればいい」のではなく、「アスリートがどこでスポーツをやっているのか」というのが大坂さんの視点です。

 彼らは社会の中で競技を行なっているわけです。社会の中にあるテニスコートがどういう状況になっているのか。社会がもしデコボコで傾いていたら、その上に乗っかっているテニスコートは平面的であり得るのか

 自分が戦っているコートが乗っかっている社会が、非常に不均等で、差別に溢れている状況であるならば、その上でフラットな競技ができるのか、という“もうひとつの前提条件まで遡った視点”になるわけです。

 大坂選手は、社会の中でBLMというムーブメンが起こっているときに「これは私がテニスをやる舞台の話なんだ」という視点を持って試合に臨んでいたわけですよね。

 こうした政治的メッセージを発するアスリートの姿というのは、都度都度出てきますが、そのたびに圧力として出てくる「スポーツにそういったものを持ち込まないでくれ」「それは別の場所でやっていること。だから政治的・社会的なメッセージを出さないでくれ」という要求です。

 なぜこんなことが起こるのかというと、本来デコボコである社会だったり、不均等な政治的なバランスを見ないでいたいからです。それに対して「いや、これ、ボコボコですよ」「ここ、傾いていますよ」という指摘をしないでほしいというメンタルが社会にはあると。

スポーツは「社会から切り離された娯楽」ではない

 日本政府は今まさに、東京五輪開催に向けて爆進中です。現在、国内のアスリートは非常に難しい立場に立たされています。

 例えば、アスリート本人に「五輪に出るのやめろ」といったことをSNSのダイレクトメッセージで送る人が出てきています。前提として、どこで五輪をやるのか、どういった社会の中でやるのか、そういう視点を社会が持つというところからスタートしないといけないのに、急にアスリートにそういった要求をするのはどこか違うと思います。

 じゃあ、何で日本のアスリートがそういった発言をできないのか、しないのか。それは逆説的には、大坂選手が持ち込んだ「自分たちが競技をしている場所がどこなのか」という視点を、アスリートが考えるかどうかが関係していると思います。

 こういった意味でも、大坂選手の行動は、アスリートが「社会から切り離された娯楽」ではなく「社会の中で行われている競技の参加者」だという視点を与えてくれた。アスリート個人の問題もまた社会的であり、それに対する観衆の反応、あるいは業界の反応、スポンサーの反応のすべて社会的であり、すべて同じ話なんだ、と。こういうレベルの視点というのを僕らに与えてくれたわけです。

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