福田麻由子、心が窮屈だった10代を経て感じた「この仕事の神髄」
人を傷つける危険性もある仕事
――『ラ』のときにも取材させていただいたのですが、当時14歳の時点で「女優でやっていこう!」と決めたと。そしてそのためにもいろいろなことを学ぼうと思い、大学進学にもつながっていったとお話していました。15歳ではなく14歳という区切りに、何か理由があるのか気になっていたのですが。
福田:私にとってすごく重要なときだったんです。市原悦子さん主演の『霧の火』というスペシャルドラマの撮影に、14歳の夏に参加しました。私は、現代を生きる市原さんが、過去を回想した際の少女期、14歳から21歳までを演じました。
戦時中の樺太の電話交換手のお話で、戦争を描いた作品は初めてではなかったのですが、ここまでしっかりと参加したのは初めてで、完全なノンフィクションではありませんが、史実を基にしている部分もあり、正直、かなりきつくて心が打ちのめされました。全力でやりましたが、当時の電話交換手の方に、このドラマを見せられるかと問われると、100%でイエスとは言えない自分がいたんです。
――とういうと?
福田:ずっとフィクションの世界で役者をやってきて、その中でのリアルとは何かを考えてきました。上手くいけば人生の煌めきをすくったり、楽しませることのできる仕事です。でもこの作品を通して、ともすれば他人を傷つけてしまうかもしれない仕事なんだと知ったんです。知らないうちに他人の気持ちを踏みにじってしまう怖さを感じました。
14歳の時、この仕事の神髄を感じた
――夢を与える仕事だと同時に、人を傷つけることもあるかもしれない、本当に大きな仕事だと。
福田:はい。私はアイドルとか、キラキラしたエンターテインメントも大好きですし、そうしたお芝居も本当にステキだと思っています。でも他方に、演じる役や背景と同じ地面にきちんと立ってスタートにつける作品もある。
自分がどちらをより突き詰めたいかと考えたら、私はその人と同じ地面をちゃんと踏めるような人間、役者になりたいと思ったんです。そう思えたのが『霧の火』でした。
――14歳のときですよね? 小さな頃から活動されていたとはいえ、そこまで考えられるのはすごいです。
福田:周りの方のおかげです。市原さんだけでなく、名取裕子さんや遠藤憲一さんといった錚々たるメンバーで、作品も素晴らしいものでした。そこでこの仕事の神髄を見たというか、感じさせてもらったんです。恵まれていたとしか言いようがありません。
あの作品がなかったら、違った道を歩んでいたかもしれません。そして、覚悟を持ってこの仕事をやっていきたいと思ったのと同時に、それには人生経験を含め、あまりにも自分自身に足りない部分が多いと痛感しました。