視聴率20%超大河ドラマ『青天を衝け』で話題、渋沢栄一の知られざる人物像
渋沢にも「評価しにくい」経歴が…
ここまでは渋沢の良い点ばかりを紹介してきた。しかし、そんな彼にも間違いや評価しにくい点はもちろんある。
例えば、若き日の渋沢は「いまの幕府は腐っている」と攘夷運動に身を投じ、師の尾高惇忠らとともに「高崎城乗っ取り計画」を立案している。計画の実態は、「まず高崎城を乗っ取り、城を拠点に鎌倉街道を攻め下り外国人の多く住む横浜を襲撃する。そこで一挙に焼き討ちを仕掛け、外国人をすべて斬り捨てる」というもの。
壮大な計画であることは確かだが、現在の埼玉県深谷市周辺では裕福な農民だった程度の渋沢にとって、あまりにも非現実的。少なくとも、後年に多くの事業を成功に導く人間の発想には思えない。
この計画は、そのずさんさに衝撃を受けた従兄・尾高長七郎の猛烈な抗議に遭ってしまう。それでも、渋沢は引かない。「日本のためにはここで従兄を斬り捨てででも決起する」という志で彼と対峙したが、長七郎の説得を聞いているうち、しだいに彼の言うことに納得するようになった。
頑固なようで柔軟な思考を持っていた
結果、渋沢は矛を収め、高崎城乗っ取り計画は未遂に終わった。渋沢はすでに決起メンバーや装備を集め、父親にもその決意を伝えるほどの準備を整えていたが、長七郎の話を聞くうちにくるりと手のひらを返したのである。
今から思えば「正論」としか言いようのない長七郎の説得とはいえ、決起にはやる状態で彼の言葉をキチンと咀嚼できた渋沢は、やはりこの頃から卓越した能力を秘めていたのだろう。なお、彼自身も後年「とんでもなく無謀な発想で、それを止めてくれた長七郎は命の恩人だった」と述懐している。
ちなみに、この話には続きがある。周囲の人々に決起の意向を伝えていた渋沢は、幕府への密告を恐れて京都へと逃亡した。そこで、かねてから親交のあった平岡円四郎に見定められ、後に幕府最後の将軍になる一橋(徳川)慶喜に仕えて働くこととなった。攘夷志士たちにとって敵以外の何物でもない一橋家にアッサリ仕えてしまう渋沢は、じつに柔軟な思考をもっていたというべきだろう。
<TEXT/「Red Pencil」編集長 齊藤颯人>