「日本は一度ぶっ壊れたほうがいい」ダースレイダー×映画監督・原一男
秩序を当たり前と思ってはいけない
ダース:お上意識を持って這いつくばって生きている人を「そんなんじゃダメだ」って言うことはできないし、彼らは自覚を持ってそういう意識を持っているわけじゃないんですよね。日本は、お上が将軍から天皇へ、天皇から民主主義に変わっただけで、お上意識から脱したことはない。それでも泉南や水俣、秋田のイージス・アショアのときのように、僕たちが文句を言ってもいい範囲を少しずつ増やしていくことが大事。カードを切れるのは僕たちなんだよと。
あと、結局は教育問題だと思っています。ものを考えることを育てずに、ものを覚えることだけを育てる教育が、空っぽな人間を作ってしまった。今の日本の問題を解決する鍵は子供にあると思うけど、その子どもたちがいる環境が、貧困や教育格差を含めてあまりにも過酷であることが、解決を難しくしているなと感じています。
原:教育の問題で言うと、『さようならCP』のあとに大阪で作られた『養護学校はあかんねん』(市山隆次/1979年)って作品は、身障者たちが養護学校の義務化に断固反対する姿を追ったドキュメンタリーでした。今でも障害を持っている子とそうでない子を分け、“整頓する”という間違ったあり様をしているでしょ。私はもっと混沌とした世の中でいいんじゃないかと思いますね。
ダース:秩序というのは「前提が混沌で、たまたま秩序」という順番だと思っています。だから秩序に寄り添って、それが絶対的なものだと思い込むことが間違っている。本来は混沌、全部まぜこぜ。そこにたまたま、制度やシステムが浮かんでいるだけという世界イメージを持つことで、いろんな人たちと一緒にいることの意味合いや可能性が出てきます。混ざっていたら考えざるをえないわけですから。
障害者はみんないい人だとか、障害者はみんな必死に頑張っているっていうのは障害者差別だと思っています。そうじゃなくて、どうしようもないヤツもいれば、真面目なヤツもいる、勉強ができるヤツもいれば、できないヤツもいる。混沌の中でフラットな関係値を築けなければ、次のステップには進めないと思います。
日本は一度ぶっ壊れたほうがいい?
原:日本国が永遠に続くかのようにみんな安穏としてるけど、本当にそうなのかっていう考え方を過激なまでに追いつめていくと、日本人はもう一回、ツラい目に合わないと気が付かないんじゃないのって考えが出てきてね。『日本沈没』っていう映画がありますよね。あの映画は「日本が沈没すれば、みんな他所の国に逃げて、日本国とは何かを考えるだろう」というテーマだと思いました。極論ですが、もう一回戦争をやって辛酸を舐めないと気がつかないんじゃないかという考えが出てくるんですよ。でも、そこまでは行きたくないから、「こつこつと」「一人一人が」という言い方を我々はしているじゃないですか。でも、この裏にあるテロリズムに走る気持ちも、私は否定しきれないと思うことがあってね……。
ダース:同意といえば同意です。僕も、今の空っぽの制度含めて、早くぶっ壊れたほうがいいと思ってるんですが、ぶっ壊れた後に、やっぱり一人ひとりが「こつこつと仲間を増やしていたかどうか」が効いてくると思うんですよ。日本は遅かれ早かれぶっ壊れますよ。オリンピックひとつとっても、こんなことをやっている国は、もたない。ドカンとぶっ壊れたその雰囲気をちゃんと共有して、立ち直るということが必要。そのとき、コストパフォーマンスで生きてきた人の周りに仲間はいないでしょう。ちゃんと“感染”して、人と繋がってきた人だけが生き延びることができると思っています。5分の挨拶じゃなく、3時間会話できるような人が何人いるか、とかね。
コロナで「この社会ってもしかしたらうまく行かないんじゃないの?」って気付いた人もある程度いると思うので、そういう人はこのタイミングから始めてみても遅くないと思います。
<取材・文/鴨居理子>