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元ヤクルト・川崎憲次郎が語る「野村と落合」名監督のリーダー像

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「『故郷を想う気持ち』が芽生えたのは、10年くらい前に始めたSNSがきっかけでしたね」。1990年代に、野村克也監督率いるヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の中心選手として活躍した川崎憲次郎さん(49)は、野球の解説などと並行しながら、生まれ育った大分県の広報活動に努めている。

川崎憲次郎さん

川崎憲次郎さん。地元大分の釣り番組で共演している“釣りガール”と

多くの人に大分を知ってもらいたい

「インターネットを通じて、一般の方とコミュニケーションしたり、九州の方言でメッセージを発信する機会が増えましたね。現役時代にはほとんどなかったことです」

 大分で過ごしたのは、高校を卒業する18歳まで。当時は野球のことばかり考えていたので、自身の故郷のことをあまり知らなかったそうだ。

「現役を退いてから『大分県のことを、もっと知りたい』と思い、その魅力に触れるうちに『素晴らしい場所がたくさんあって、温かい人たちが住んでいる場所なのに、なぜ目立たないんだろう?』『多くの人に大分県のことを知ってもらいたい』という想いが生まれ、広報を始めるようになりました」

甲子園出場後、ドラ1でヤクルトに

川崎さん

当時を振り返る川崎さん

 2020年、県大会を32年ぶりに制した大分県立津久見高校。甲子園春夏連続出場を果たした32年前のチームでエースだったのが川崎さんだ。そして1988年のドラフト1位で「意中の球団」とだったいうヤクルトスワローズに入団。

「とにかく明るいチーム」だったという当時のヤクルト。プロ入り2年目には、川崎さんが「とにかくぼやかれました。顔を合わせたら怒られるので、あまり近寄らないようにしてました(笑)」と語る野村克也監督が就任し、“ID野球”を標榜としたチームの強化と、若手の育成に着手する

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