小池百合子都政が“やらなかったこと”とは?カオスすぎる東京都知事選を斬る
「倫理観」を見極めることがカギ
ダースレイダー:そんななか、2019年7月参院選で立憲民主党が獲得した比例8議席の最下位として国会に入った元格闘家の須藤元気氏が、党が支持する宇都宮氏ではなく山本氏の応援活動をしています。須藤氏は山本氏を応援するために離党届を出しましたが、受理されていません。
ここで僕は、今回の都知事選において「誰に入れたらいいかわからない」という人の、考え方のひとつのベースになるのは「倫理観」だと思っています。倫理観というのは自分の中から出てくる「これをやっちゃいけないだろう」「これをやるべきだ」という線引きであり、自分の行動の指針になるもの。須藤氏は党の力で議席を取ったわけで、山本氏を応援したいのであれば、当然票をもらった源泉である立憲民主党に議席を返すのが倫理的な行動だと思んですが。
ただ、返さなくても違法性はありません。違法じゃなければやっていいのかという判断は、それぞれの倫理観に託されます。ポスターの話も一緒です。ポスターには何を使ってもいいと言われているなかで何をするかも、やはり、倫理観によります。
今はコロナ禍で街頭演説は難しい。それでもやっぱり直接人に会って訴えかけたいと思うのか、人を集めるのは良くないと思うのか。ネット選挙ができない中で、オンラインでしか自分の政策活動を発表しないのか。それが果たして東京都民に向き合っていることになるのか。さまざまな考え方がありますが「政治家としての倫理観があるのか」が大きなカギになると思います。
選挙は「自分への表現」でもある
ダースレイダー:もともと倫理観とは「common sense」といって、言葉にしなくとも全員が持っている共通見解。都知事選では都民の倫理観がどれだけ失われてしまっているのか、そもそもあるのか、ということもわかる。
共通の感覚がない人を集めて一つの社会を作っていくのは、また別の困難になっていく。それをやる覚悟があるのか。人びとに東京という共通の感覚が存在するのか。共通の感覚が残っているとしたら、それを維持すべきなのか、拡大するのか、あるいは書き換えてしまうのか? そのあたりを考えながら候補選びをするのがいいかと思います。
「どうせ当選しないのだから、この候補には投票しない」とは、僕は考えていません。選挙というのは自分がこのときに誰の考えを支持したのかという、自分自身の観察点。定点観測。
その記録のために、投票行動は大事になってくる。結果が伴えば、それは嬉しいけど「自分は今こう考えているんだ」と、自分に向かって表現するという意味でも、選挙に行くのは大事だと思います。
みなさん、エントリー費はすでに払っているので、あとはどう遊ぶかだけ。22人の候補から誰かを選ぶのは、もちろん難しかったり、どうしたらいいかわからないこともあると思いますが、考える手掛かりはいろいろあるんじゃないかな。
そして、実は選挙権を持たない人たち、例えば18歳未満の東京都民の4年間はエントリーした僕たちの行動に委ねられています。そうした人々はエントリーしてるのに行動しない人を見かけたらふざけんな! と言う資格はありますよね。
ちなみにライブハウス、クラブに縁のある方は「SaveOurSpace」という団体が小池氏、宇都宮氏、山本氏、小野泰輔氏に対してライブハウスやクラブに関する対応についてアンケートをしているので、見てみると参考になるかもしれません。
<構成/鴨居理子 撮影/山口康仁>