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「負けず嫌いだった」全国トップ営業マンが英語学校を起業するまで

ビジネス

当時「無名だった」アリババに入社

――なぜアリババに入社したのですか?

呉:アリババを初めて知ったのは韓国に留学していたときでした。どういう会社か知って、このサービスを心の底からお客様に勧めたいと思ったんです。それで採用募集に申し込んだら、面接が3度ほどあり、「なぜこの仕事をやりたいのか」「サムスン電子、LGが海外で活躍できているのはなぜか」を聞かれました。

 採用されてからは、当時のアリババは日本でまったくの無名だったので、北海道から沖縄まで中小企業相手に、同社で最も古いBtoBプラットフォーム「アリババドットコム」のセールスをしていました。アリババドットコムなら、マーケット調査や海外のバイヤーとオンラインで商談ができる。だから、あなたの商材を海外(全世界)で売らないかと。ただ、ほとんどの経営者が海外に行きたいのに、英語ができないという理由で進出をためらっていたんです。

 対照的に、中国や韓国の企業は拙い英語でもすぐに商品を展示して、商談を進めてしまっていた。日本人は真面目すぎて、スピードで彼らに全然敵わないし、ビジネスにならないと思ったんです。その頃から「英語への苦手意識さえなくせば、もっと日本人が海外でチャレンジできるのに」と感じるようになりました。

2度の留学で「教育事業」立ち上げ

呉宗樹

フィリピン人講師による授業風景(提供/MeRISE株式会社)

――29歳のときにアリババを退社して起業。その前にご自身も語学留学をしたそうですね?

呉:なんとなく起業を意識するようになり、MeRISE共同創業者である鈴木(光貴、取締役CFO)とプランを練っていたんです。ただ、だんだん煮詰まってきてて、それと同時に「これから海外に行かないとダメ」だとも感じていて、そこで丁度海外留学を検討していたもう一人の共同創業者の渡辺(和喜、取締役COO)と3人でフィリピンに留学に行くことにしたんです。

――留学先をフィリピンにしたのは何か理由があったのでしょうか?

呉:27歳で韓国に初めて行ったときにフィリピン留学を知ったんです。ちなみに私は在日韓国人三世として日本で生まれ育ったので、当時は日本語しかしゃべれませんでした。

 同じ在日の友人が韓国に行く様子を見ていて、「今しかない!」と思い切って韓国語を現地で学習しました。その学校で、当然韓国語は一人も話せないのですが、英語を話せないのが私含めた日本人だけだったんです。一方で、もっとも英語が堪能だったのがフィリピンの女性。耳で聞いて、うまいとわかりました。

――フィリピンだとフィリピン語(タガログ語)の印象ですが、英語を話せる人が多いんですね。

呉:それと韓国人も英語がうまかった。日本人に比べて、なぜここまで差がつくのかと。調べたら、韓国経済は貿易依存度が高く内需に乏しいため、企業が外貨を取りに行く関係上、学生も就職を考える上で英語学習について熱の入れ方が違う。その留学先としてフィリピンが人気だったんです。

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