今こそ求められる“強い大関”の復活を。具体的な2つの提言
救済措置の「公傷制度」復活を
協会(公益財団法人日本相撲協会)は、先述した4場所連続で大関陥落力士が発生した非常事態を重く受け取るべきだ。どの理事長も「土俵の充実」を念頭に置いているが、「土俵外の充実」に関してはファンサービスを除き、おごそかにしている印象を持つ。
まず、公傷制度の復活だ。これは本場所中の土俵で重傷を負い、当場所と翌場所を連続休場した場合、翌々場所の番付で地位が保証されるもの。大関以下のすべての力士に適用されていた。
例えば、大関が土俵上のケガで2場所連続休場に追い込まれ、公傷が適用された場合、その次の場所もカド番ながら大関にとどまる。
ところが、当時の北の湖理事長(第55代横綱)は、2003年九州場所後に廃止。以来、十両や幕下以下の陥落に抵抗を示すかの如く、体の状態が万全でないまま、出場する力士が多くなった。ケガ人続出で5人以上の関取が休場した場所もある。
北の湖理事長と、今の八角理事長(第61代横綱北勝海)は、現役時代の休場がいずれも横綱推挙後で、「ケガの苦しみ」に対する見解が大関以下の力士や親方とは異なるのだろうか。公傷制度の復活により、どの力士も万全の状態で本場所に出場できるよう、体制を整えてほしい。
陥落規定「2場所連続」の見直しも
公傷制度を復活させないのであれば、大関の陥落制度を2場所連続負け越しから「3場所連続負け越し」に改めることも検討すべきだ。実は1958年初場所から1969年名古屋場所まで適用されており、北の富士勝昭氏が大関陥落を逃れ、救われる格好となった(その後、第52代横綱に推挙)。
昔の大関は、体力の衰えなどにより、“大関の責任が果たせない”から引退する力士が多かった。本人のプライドもさることながら、公傷制度の存在も大きかったと思う。今よりも土俵環境が充実していたといえる。
強い大関の復権には、稽古もさることながら、万全のバックアップも必要だ。協会理事らの手腕が、これからの大相撲人気を左右させることは言うまでもない。
<文・撮影/岸田法眼>