リクルートから被災地へ。1405日間の仮設住宅暮らしで見つけた「地方創生」のカギ
「自分のことができてから復興支援してくれ」
翌朝、起きて歯を磨いていると、同じ仮設住宅内の班長的なお爺さんに突然呼び出される。
「このゴミ袋は君か?」
はい、そうですが何か? と言おうと思ったら、ゴミ出しのルールが守れていない件を矢継ぎ早に指摘され叱られる。恥ずかしながらご指摘通りで、分別の仕方も含め自分がすべて悪く、突然被災地に迷惑をかけることになってしまった。
「自分のことができるようになってから復興支援してくれるか?」
これはいまだに心に残る痛烈な言葉として覚えている。まさに仰る通りである。もし都会からたまに復興支援で気仙沼に伺いできることを探してやれていれば、いくぶんか自分の心も楽だったろうと思う。ただ現実はこの被災地に住み、彼らと一緒に自分の街を復興するために、自分の価値を認めてもらい役に立たないといけないのである(もちろん唯一の強みであった自社の仕事ができるという武器を絶対に使わずに)。
この日から、これまで生きてきた都会の自分とはまるで違う生き方を探すことになった。今でもこの班長には感謝している。
「畑をしないか?」この街で役に立つ自分探し
自分がこの街で生きていて役に立てることは何か? いろいろ考えたがひとつの答えに行きつく。それは自分がこの街を何も知らないということ。そこで自分へのルールを課した。
「当面は気仙沼の方からのお誘いやお願いは絶対に断らない」
郷に入っては郷に従え。まずは自分が好きか嫌いかできるかできないかにかかわらず、まずはこの街を知り好きになろうと決めたのである。すると突然、仮設住宅の談話室(仮設住宅には必ず住民同士がコミュニケーションを取れる談話スペースがある)で一つ目のお誘いが班長から間もなくやってくる。
「君、裏の空いている土地で畑をしないか?」
畑!? ……しないか!? 都会の自分には考えたこともない不思議ワード。新規ビジネスをつくることはしたことあるが、新しい畑を耕したことはない。だが今、自分がこの街で誘われることはこれしかないのである。
「はい、やります!」と答えすぐに軍手と長靴を買いに行った。次の日からは、今の自分に唯一頼まれた案件である畑仕事がスタートした。翌日、班長と畑の土地に出て鍬の持ち方から耕し方までひととおり教えてもらう。だがところどころで詳しく聞こうとするといつもこう言われる。
「んなこと言われても知らねえべ。俺たち海の男(海の近くに住んでいる男)なんだがら畑の専門的なことは知らねえ」