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トレンドはハシゴ酒?渋谷のナイトシーンを考える<WHITE NIGHT GROOVE>

ビジネス

多様なジャンルの人種が集まっていた

White week

1970年代の思い出を語る佐藤氏

 1970年代といえば、ファッション雑誌『anan(アンアン)』『non-no(ノンノ)』に代表されるアンノン族の登場や、シティボーイ憧れのアメリカンライフスタイルを提案し、一世を風靡した雑誌『POPEYE(ポパイ)』の創刊など、後世のポップカルチャーに大きく影響を与えた雑誌が次々と生まれた。

 また、ディスコ・ブーム到来を機に、渋谷や新宿、六本木といった場所には多くのディスコクラブが開業した年代でもある。佐藤氏が当時を回顧する中で、思い出深かったエピソードを次のように話した。

「1975年に始めた新宿のディスコクラブ『ツバキハウス』では、大貫憲章さんの主宰するロンドンナイトが大盛況だった。文化服装学院や東京モード学園の学生、ファッション系のエディター、モデル、藤原ヒロシさんなど後に有名となるクリエイターはじめ、とにかく多様なジャンルの人種が集まっていた。ここに来ていた人が時代を創っていったと思うと、今でも鮮明な印象として残っている」

今の渋谷には「コミュニティ」がない

 1980年代に入ると、YMOブームで人気となったテクノポップやユーロビートなど、音楽のトレンドがディスコミュージックから次々と移り変わっていった。そんななか、現在のクラブ営業スタイルの走りになったのが、1989年にオープンした「芝浦GOLD」だ。

 ここで活躍したDJやクリエイター、足繁く通った業界人は、今なおクラブシーンの第一線で活躍したり、ナイトカルチャーを語る上では外せない人物になっていたりする。

「80年代は、個性を生かせる環境がなくなってきた背景の中、芝浦GOLDに集う人同士が呼応して新しいものが生まれていった。文化人から音楽フリーク、感度の高い遊び人まで様々な人が集まり、交流を深めていた。今みたいにSNSがない時代、GOLDに来ないと最先端のファッションやトレンドの情報を得られなかった。ここに集う人がある種、トレンドセッターとなってブームを作っていたのではと思う」(佐藤氏)

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