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“消滅可能性都市”から発信する「ふたり出版社」夫婦の挑戦

ビジネス

ローカルエリア・三浦半島に拠点を置く理由

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事務所兼蔵書室である「本と屯」外観

――最初に始めたのが逗子市で、今は三崎にあるわけですけど都心から離れた郊外に拠点を置くのにはどんな理由が。

シンゴ:会社を始めた場所が逗子だったのはたまたまなんですね。僕が美容師時代の25歳のときに鎌倉の美容院で働くことになって、本当は鎌倉に住みたいけど家賃が高くて住めなかった。それで隣の逗子に住んでいて、美容師時代から独立にいたるまでずっと逗子に住んでいたというだけです。

かよこ: 私もミネ君も郊外で生まれ育ったベッドタウンキッズなので、都心から1時間くらいで行き来できるようなところで暮らすのに慣れてるんですよね。

――では、三浦市に移住してきたのは。

かよこ:前は逗子駅前の借家で暮らしていました。本の在庫で、ひと部屋丸ごと段ボールで埋まっていました。契約の更新も近づいてきた頃に「もう引っ越さないとね」って。

 最初は長野とかも考えてましたけど、都心まで出るのに3時間近くかかるし、交通費も1万円以上かかるんですよね。東京から離れすぎるのも、しっくり来ませんでした。

シンゴ:住むにしても三浦半島あたりがちょうどいいかなって思ってました。三浦海岸の近くで暮らしてる人に、車で町を案内してもらったんですけど、それで気になったのが今の物件(取材場所の事務所兼蔵書室「本と屯」)だったんですよ。

 場所は商店街の真ん中。商品の在庫管理もそうですけど、僕とかよこが今まで買い溜めてきた4000冊くらいの蔵書も置き場所がなかったので、ここを事務所兼蔵書室にしようというアイディアが浮かんできました。それで案内してくれた人に相談したら、その人が、ここの物件を数人で借りている方だったんですよ。

かよこ:その方もアタシ社が三崎にくることに価値を見出してくれたのかもしれません。いろいろ相談にも乗ってくれたので、ここに引っ越さない理由はないな、と。

シンゴ:本当に人と場所の縁。もしも先に逗子あたりでいい物件があれば、ずっと逗子にいただろうし、いろいろなミラクルが重なって三崎に越してきたという感じですかね。

土地に根付くビオトープを意識する

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本屋ではなく「”図書館”のようなもの」と書かれた張り紙

――ローカルな場所を新天地として暮らすことの難しさってどんなところにありますか。

かよこ:最初はあまり意識してなかったけど、町には独自のビオトープ(生態系)があって、その土地特有の歴史とか記憶がある。外来種である私たちがそこに入っていくには、そういうことをわきまえないといけないんです。最初はどうしても警戒されると思うので。

 ここももともとは築90年以上の建物で、米山船具店という船具店でした。なるべくリノベーションはせず、米山さんが暮らしていた当時の面影を残しながら引き継ぎたいと思いました。

――土地特有の歴史や記憶に対してみだりに手を加えてはならないということですね。古くから三崎に住んでいる人にはどのような印象をお持ちですか。

シンゴ:上下関係がしっかりしていて、少しでも三崎に長くいる人たちは先輩なんですよね。地元の人たちと会話したり、地元民同士で話しているところを聞いていると感じます。鎌倉や逗子はもっとゆるかった印象です。

 あと、三崎は漁業や農業が盛んな場所なので自然を相手に仕事をしているたくましい人が多いですよね。声は大きいし、神奈川だけど方言があったり。最初きたときはカルチャーショックを受けました。

――馴染むには相応の時間が必要になりそうですね。

かよこ:人によるかもしれません。私たちのような移住組をすぐに面白がって受けいれてくれる人もいます。「ミサキドーナッツ」や「ミサキプレッソ」というお店を経営してる藤沢宏光さんという方がいて、その方も10年以上前に移住してきた人で、音楽プロデューサーの方なんですけど。

シンゴ:藤沢さんはよく“ミドルマン”という言葉を使うんですけど、古くからその土地に暮らしてる人たちと、僕らのような移住組の間の橋渡しを担ってくれる人。「ミネ夫妻は悪い人たちじゃないから仲良くしてやってね」って間を取り持ってくれる人がいないと積極的に交流するのも難しいですよね。

かよこ:三崎が好きで東京から人が来ることに対して否定的な人もいれば、物件を貸してくれた人や藤沢さんみたいに私たちのような出版社が三崎に来ることを歓迎してくれる人もいる。常に周りの視線だったり評価に晒されつつ、コツコツ大事に三崎の人たちとの日々を積み重ねたいと思ってます。

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