引きこもりだった僕が親の会社を継いだ理由。父と真逆の経営方針
跡取りとして親の会社の経営権を譲り受ける“世襲社長”。会社経営における世襲の是非については、さまざまな意見があります。
生まれたときから社会的な地位と名声、楽な人生が用意されているように思われがちですが、当の世襲社長はどのような思いで経営に臨んでいるのでしょうか。
お父さんが設立したデザイン会社を継いだという林田勝さん(仮名・31歳)にお話を伺いました。
「父がプロダクトデザイナーで、あるとき手がけた製品がグッドデザイン賞を受賞したり、商品としてもヒットしました。当初は、ほぼ個人経営のデザイン事務所でしたが、今では20名以上の従業員を抱え、自社工場を構えています」
お父さんが創業したデザイン会社を1年前に継いだ林田さん。ヒット商品を出してからというもの会社は急激に大きくなり、今では製品の開発、製造、販売まで担えるほどに大きくなりました。
学校に馴染めず登校拒否を続ける。引きこもりだった青春時代
会社経営も順調で幼少期から不自由ない暮らしでしたが、中学生の頃に林田さんは、いわゆる、引きこもりを経験することになります。
「特にいじめられたとかではないんですけどね。中学に上がった頃からだんだん自分の立ち位置がわからなくなって、『自分はどのような役割、キャラクターで周囲とどう接していけばよいのか』とかを考えたり、『他人に嫌われたら終わり』という意識が常にありました」
中2の頃から登校拒否を続けてドロップアウト。高校には進学せず引きこもり生活を送ることになります。家にいるときはインターネットの世界に逃避し、外出するにしてもゲームセンターで遊ぶくらいだったそうです。
そんな自堕落な日々の中、あるとき大学に入ることを思い立ち、大検(現在の高等学校卒業程度認定試験)を取得。その後、大学受験を経て実家から美術大学に通うことになります。
「ライフプランが定まらないなか、とりあえず大学には行ったほうがいいと思いました。でも、勉強はできない。美大なら実技試験で何とか入れるかなって思いました。結果として父と同じ道に進んでいますけど、当時はそれくらい漠然としてました」
大検を取得して美大進学。父親と同じデザインの道へ
引きこもり時代と打って変わり、林田さんの大学生活は思いのほか明るいものだったそうです。
「デザイナーの家で育ったということもあって小中学生の頃からMacintosh(マッキントッシュ)に触っていたので、大学に入った時点でデザインの現場で使われているようなAdobeのソフトウェアを使いこなせてました。
あと、引きこもりの頃にある人から勧められてプログラミングの基礎を勉強していた時期がありました。周りに比べてデジタルを駆使したデザインスキルは突出してました。『教えてほしい』って友達から頼まれることも多く、それがきっかけで自然と周りに馴染むことができました」
大学時代はたくさんの友人に恵まれた林田さん。就職活動をスタートさせる頃には、どのような将来像を思い描いていたのでしょうか。
「当時はあまり先のことを考えられなくて、まともに就活もしてません。ちょうどプラモデルっぽい感じの立体作品を作ってたこともあって、卒業後も創作活動を続けるつもりでした。でも、まともに働きもせず実家暮らしであることに居づらさも感じていて……結局、父の仕事を手伝うようになりました」
大学を卒業した年の12月からお父さんの会社を手伝うことになりました。当時は将来会社を継ぐことは念頭になく「手伝えるなら手伝うくらいの感覚」だったと振り返ります。