19年連続赤字をどう脱した?「レッドロブスター」に聞く日本上陸40年の苦労と成功
食へのニーズが多様化し、飲食店の生き残りをかけた競争はより一層激しくなっている。それはコロナ禍でさらに色濃くなり、テイクアウトやデリバリー、ネット販売などの策を講じ、難所を乗り越えるために工夫を凝らしている状況と言えよう。
そんななか、長年にわたって地域密着型を掲げ、店舗を展開してきたのが「レッドロブスター」だ。シーフードレストランチェーンとして1982年に日本上陸し、今年で40周年を迎える。
レッドロブスタージャパンでブランドマーケティング部 部長を務める益岡 康治氏に、今もなお幅広い世代に愛されている理由や、コロナ禍をどう生き抜いているのかについて話を聞いた。
日本上陸から19年間は赤字続きだった
レッドロブスターは40年間続く外食チェーンだが、その歴史はまさに波乱万丈だ。1982年の日本上陸当初は、ジャスコ(現イオン)が運営会社としてレッドロブスターの店舗展開を担っていた。
「当時は“シーフードレストラン”という、今までなかったコンセプトのお店ゆえに注目されましたが、もともと寿司や天ぷらなどシーフード料理に親しみを持っていた日本人にはなかなか浸透しなかったようです。ロードサイドへの出店や認知拡大を目的とした、カニの食べ放題やCMなどの施策を打ったものの、結局は一時的な集客にしかならず、ジャスコが運営した19年間では一度も利益を出せていませんでした」
成功と失敗…2度の親会社の変更
その後、2002年に焼肉チェーン「牛角」や居酒屋「土間土間」などを運営するレインズインターナショナルが子会社化。
「業績の巻き返しを図ろうとして、来店ハードルを下げるために新たなコンセプトであるカフェタイプのお店を積極的に出店していきました。こうした出店攻勢もあり、一時は最大で60店舗ほどまで拡大しました」
だが、近くの商圏に複数店舗を出店したため、と顧客の奪い合いになってしまい、思うような集客につながらなかった店舗は閉店を迫られた。拡大路線から一転、不採算店舗を閉めて再スタートを切る矢先、現在の運営会社であるセリュックスに移ったのは2011年のことである。
意識改革で苦境を乗り越えた
これまでは運営会社の母体が大きく、利益を出せなくても何とかやってこれたが、当時のセリュックスは発展途上の会社だったこともあり、否が応でも「利益を出す」ということに向き合わざるを得ない状況となった。益岡氏は「土壇場に立たされていたからこそ、スタッフのモチベーションが変わり、自分たちで創意工夫するようになった」と話す。
「このまま利益を出せなければ後がない……。そのような危機感を皆背負っていました。大企業の傘下にいた頃には見えていなかった細やかな部分に目を向けてみると、浮かびあがってきた課題や山積でした。
原価・人件費・メニューの内容といった基本的なところひとつひとつをしっかり解決していくことで『収益性を高めるため』にやれることはすべてやってきました。長年のリピーターのお客様を中心に、レッドロブスターの魅力や価値を根気強く伝え続けたことで、黒字へと転換させることができたんです」