新型コロナで大打撃の日本航空。航空業界にチャンスはあるのか?
新型コロナウイルス関連肺炎の流行拡大に伴い、封じ込めのための外出自粛が強化されました。記憶にも新しいところでは3月31日、外務省が欧州やアジアなど幅広い国に感染症危険情報「レベル3(不要不急の渡航中止勧告)」、4月7日には東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に政府が緊急事態宣言を発出しました。
「ブラック企業アラート(@blackc_alert)」が、身近な企業を題材にして、企業の状況の調べ方・見極め方を解説する本連載。それを踏まえて、今回は日本の航空業界第2位のJAL(日本航空)を題材にしました。
JALは新型コロナウイルス関連肺炎の感染拡大に伴う環境変化への対応として国際線と国内線の大幅な減便を決定しています。新型コロナウイルス関連肺炎の収束のめどが立たず、国際的な人の動きも抑制されているなかで、航空業界にチャンスはあるのか? データから読み解いていきます。
JALの企業沿革
JALは2021年卒業予定の学生を対象に調査した「新卒就職人気企業ランキング」において10位にランクインしており(競合のANAは6位。したがって、航空業界では2位と言えます)、就活生の間で依然として人気が高い企業です。
そのため、今回の記事はまずはJALの企業沿革について、簡単に振り返りをしてから業績分析に移ります。
JALの歴史は第二次世界大戦終結後までにさかのぼります。 昭和26年(1951年)8月1日に、現在のJALの前身である(旧)日本航空株式会社が創立され、翌年10月から自主運航による国内線定期航空輸送事業が開始されました。
続いて、昭和28年(1953年)10月1日に、現在のJALに相当する日本航空株式会社が設立されます。ここで特筆すべきは、設立にあたって「日本航空株式会社法」(昭和28年法律第154号)が制定されており、「政府出資10億円と旧会社の営業の価額10億円とを合わせ、20億円の資本金」によって設立されていることです。
経営破綻から復活するまで
つまり、設立当初は「半官半民」の体制であり、日本唯一の国際線定期航空運送事業の免許会社という立ち位置だったのです。のちに、昭和45年(1970年)2月に東証一部に上場するなど、順調に業容を拡大し、昭和62年(1987年)11月に完全民営化となり、民間企業となります。
しかし、平成22年(2010年)1月に会社更生手続きを申し立てることになり、経営破綻を迎えてしまいます。会社更生手続きを経て業績を回復し、平成24年(2012年)9月に東証一部に再上場を果たしました。
この経営破綻からの復活劇の立役者が、京セラ・KDDIの創業者である稲盛和夫氏です。稲盛氏は当時の政府からのJAL会長就任のオファーを受け、平成22年(2010年)2月に「無報酬」で会長職に就任することとなりました。
そこから、平成24年(2012年)2月に名誉会長職に退くまでの2年の間で、稲盛氏は徹底的な各種コストカット(企業売却・人件費削減など)を断行し 、JALを再上場まで導いたのです。