お笑いトリオ・四千頭身「結果が出なかったら終わる」ブレイク前夜
「お笑い第七世代」と呼ばれる芸人のなかでも、もっとも若くして頭角を現したお笑い芸人トリオ・四千頭身の後藤拓実さん(22)、都築拓紀さん(22)、石橋遼大さん(22)。3人の漫才スタイルはメディアから「脱力系」と称され、平成生まれを思わせる“ユルさ”と“表現力”に溢れている。
著名人のファンも多い彼らだが、当人はどんな思いで活動しているのだろうか? 学生時代や養成所のエピソード、“あの”レジェンド芸人との裏話を含めて、3人に直接インタビューを敢行した。
意外にも活発な幼少期。3人が好きだったテレビ番組
――現在、お笑い芸人として活躍されている3人ですが、幼少期はどんなタイプでしたか?
都築拓紀(以下、都築):めちゃめちゃ活発で、たぶん地元で1番明るいヤツでした。反対に2つ下の妹が根暗だったので、友だちと遊びに行くときも一緒に連れていってあげるようなスーパーお兄ちゃんでしたね。
後藤拓実(以下、後藤):明るくも暗くもなかったですけど、野球やってるような割と活発な少年でした。ポジションはセカンドで5番バッター、3年間で3安打でしたけど(苦笑)。でも、スポーツは今でも好きです。
石橋遼大(以下、石橋):僕もめちゃくちゃ明るいわけではないけど、ずっと外で遊んでるような活発な少年でした。サッカーやってたんですけど、足のスネが炎症してドクターストップかかるくらい走り回ってました。
――3人とも意外に活発だったんですね。ちなみに、その頃好きだったバラエティ番組はありますか?
石橋:幼稚園のときに熱を出して寝込んだことがあったんですけど、たまたま起きた時間に『SMAP×SMAP』でコントをやっていて初めて大笑いしたんです。その体験が芸人を目指すようになった原点で、それからいろんなバラエティ番組を見るようになりました。
都築:僕はとにかくバラエティ番組が好きでいろいろ見てましたね。『エンタの神様』『レッドカーペット』『はねるのトびら』『イロモネア』……とか、本当にたくさんやってたので。
後藤:そのなかだと僕は、『はねトび』ぐらいですかね。どっちかって言うとドラマをよく見てて、『ROOKIES』とか『太陽と海の教室』とかが好きでしたね。単純にテレビっ子だったと思います。
中学時代のエピソードと、養成所に入るきっかけ
――中学、高校時代にお笑いに目覚める方は多いと思います。3人はどんな学生でしたか?
後藤:中学でも野球やっていたんですけど、めちゃめちゃ楽しかったです。2軍の5番だから、そこまで厳しく言われないですし(笑)。ただ、高校のときにつまんないなって時期はありましたね。
石橋:中学のときサッカー部だったんですけど、MAXで9人しかいない弱小チームでした(苦笑)。もちろん毎回試合はボロ負けですけど、1点入ると会場がひとつになるんです。それが楽しかったですね。
都築:僕はずっと明るかったです(笑)。ちょっと話がそれちゃうんですけど、同じ中学の先輩で事務所の後輩でもある「がんばる太郎」って芸人がいるんです。ちょっと複雑な関係ですけど、同じ学校から芸人が2人出たのはすごいなって思います。
――3人は同じお笑い養成所の同期。後藤さんは、高校時代の友人が勝手に養成所に応募したそうですが、そのほかの2人は迷いなくお笑いの世界に?
都築:迷いはなかったですね。今の事務所の養成所を選んだのは、1回見学しに行ったら「面接してってもいいよ」って言われて、そのまま合格しちゃっただけです(笑)。
石橋:僕はサッカーの推薦で高校に入ったんですけど、いざ行ってみたら「大学じゃ絶対通用しない」って痛感しました。それで、大学に行って4年間を無駄にするのもなんだし、お笑いが好きだったから養成所に通おうと思いました。今の事務所の養成所を選んだのは、父親のつながりで紹介してもらったのがきっかけです。