山田孝之主演プロデュースの新作『ハード・コア』監督を直撃。創作の秘訣は?
先輩からの影響を糧に、自分たちなりの作品を制作
――監督ご自身についてお聞かせください。映画を撮り始めたのはいつ頃ですか?
山下:映画というか、高校の頃に友達と一緒に『ロボコップ』や『ゾンビ』『ビー・バップ・ハイスクール』なんかのパロディを撮っていました。うちにホームビデオがあったので。映画の監督を、というよりは、遊び道具として始めたのが高校時代ですね。
――そこから大阪芸術大学に進まれましたが、卒業制作作品の『どんてん生活』から、劇場公開されるという、かなり早いうちから順調にキャリアをスタートさせました。
山下:そうですね。『どんてん生活』もカウントしてこれが20本目になります。
――そんな監督にももがいていた時期というのはありますか?
山下:大学の4年間はもがいていました。田舎の大学で彼女もおらず、映画に浸っていました。いわばルサンチマン(怨恨、復讐といった衝動が内攻的に屈折している状態)というか、バネはすごくためていました。
大学時代にいわゆるサークルや旅行といったことは、一切していなかったので、そういう意味で言うと、ストイックだったかもしれないですね。禁欲的というか。
――それは映画に携わりたいというはっきりとした志を持っている人たちに囲まれていたからでしょうか。
山下:僕の場合は、熊切(和嘉)さん(※『鬼畜大宴会』『海炭市叙景』『私の男』などの監督)という先輩の存在が大きいですね。熊切さんの意識が高くて、僕は運よく同じ寮だったので、熊切さんのエネルギーを感じながら、そのやり方をずっと見られた。熊切さんは、怨念といえるようなものが本当にスゴイ人で。映画を作っているというよりも爆弾を作っているみたいな感じでした(苦笑)。
そこに参加しながら、僕も爆弾を作っているかのようなエネルギーを感じていましたが、いざ自分が監督しようとなったときには、あそこまでの恨みとかルサンチマンは僕にはないなと。そこで脚本の向井(康介)と話し合って、じゃあ自分たちなりのものを作ろうと、やり始めたんです。
人が一番大切。それをキャッチする嗅覚を
――本作でも脚本を担当されている向井さんとは、長いお付き合いですね。
山下:大学に入って1本目から向井でした。今の邦画界での向井の脚本家としての才能は、すごく立派だなと思いますが、学生時代はただの友達でした。先輩からはよく名前を入れ替えて間違われるくらい、常に一緒にいましたね。
――人生の先輩として、20代のうちに、これはやっておいたほうがいいよといったアドバイスはありますか?
山下:僕の場合は大学時代でしたけど、20代というのはすべてにおいてとにかく吸収の時代だと思うので、おもしろい人だったりおもしろい場所があれば、とにかく首を突っ込んだほうがいいと思います。そういった嗅覚は絶対に持っていたほうがいい。
僕も熊切さんや向井や、カメラマンの近藤(龍人)、ほかにもたくさんいましたけれど、そうした人たちの中で自分が磨かれました。若いときは体力もあるから、ちょっと無理してでも、おもしろいところに身を置いたほうがいいと思います。
――自分を磨くためには、人もすごく大切ということですね。
山下:というか、僕の場合は人だけですね。人が一番大切。いまはもうほとんどの人たちがバラバラになっていますけれど、あの頃出会った人たちの中で形成された部分が、自分にとってすごく大きかったと思います。じゃあ、そういう場所はどこにあるのかと聞かれると、それはもう自分で探してというしかないですけど(苦笑)。
――ありがとうございます。最後に上映中の映画『ハード・コア』について読者に向けてひと言お願いします。
山下:たぶん大多数の人が左近の気持ちを通じてこの世界を見ると思うんです。だからこそ、右近を見てくれといいたいです。右近を見てどう感じるのか。正しいのか、間違っているのか。かっこいいのか、悪いのか。その人なりに感じてもらえればと思います。
<取材・文・撮影/望月ふみ>