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遠藤憲一、妻に「3年頼み込んだ」ブレイクのきっかけ

暮らし

特技も学歴もなく、自分には役者しかなかった

――役者業だけで食べられるようになったのはいつ頃ですか?

遠藤:24~25歳のときに4畳半のアパートで、ギリ生活できるようになってたかな。8万くらい稼ぐようになって、家賃は3万5千円。だからギリ行けたかな。自炊してね。

――そうした下積み時代にも役者を続けるというモチベーションが落ちなかった理由はなんでしょうか。

遠藤:決めてたからね、ずっと役者でやっていくって。ほかに何かひとつでも特技があったり、学歴がある程度あったら違ったかもしれないけど、俺、何もできないから。本当に人より何もできないんですよ。

 日常をちゃんと知ってもらえると分かってもらえるんだけど、本当に何も知らないし、何もできない。ほかにできることもないから、完全に思い込んじゃってましたね。いつになるか分からないけれど、役者で食べられるようになるって。

――もともといらした事務所の社長さんが高齢になられたことをきっかけに、2007年に奥様と個人事務所を立ち上げられました。そのとき、どこか別の事務所に入ろうとは思わなかったのでしょうか。

遠藤:前の事務所も少人数だったんです。基本俺はわがままだから、マネージャーさんにきっちり自分のことを理解してもらう必要がある。そうすると大きなところでは難しい。なら女房にやってもらおうと。最初は断られましたけど、3年ほど頼み込んで了解してもらいました。ちゃんと自分を理解してくれている人にマネージメントしてほしかったんです。

完全に女房の演出、指揮です

アウト&アウト

――その頃から、役柄やジャンルの幅が広がっていったかと思います。遠藤さん自身がそういう方向性で進んだのですか?

遠藤:完全に女房の演出、指揮です。そこに乗っかってよかったですね。役柄のジャンルも増えたし、テレビに出ることも増えて。いろんな役をやりたいとはずっと思っていたので、そこが広がったのは本当によかったです。

――遠藤さんの場合は奥様ですが、誰か信頼できる相手と組んで仕事をしていくことは、やはり重要ですか。

遠藤:先輩とかね。たとえば大人数の会社だったとしても、きっちり相談できて、そして怒ってくれる人を持つというのは、とても大切。だけど同時にとても大変。なかなか本気で怒ってくれる人っていうのは見つからないから。

 そうした人を見つけたら、嫌がらずに、がっつりくっついていったほうがいい。怒られるって嫌なことだけど、でも自分のために本気でそうしてくれる人っていうのはなかなかいないからね。

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