サッカー公式戦に出場した「最年長の選手」は?驚きの年齢でゴールキーパーに
FIFAワールドカップカタール2022(カタールW杯)が、11月21日ついに開幕した。日本代表はドイツ、コスタリカ、スペインと同じグループEに所属しており、初戦は23日のドイツ戦だ。
ブエノスアイレス生まれのサッカー・ジャーナリストであるルチアーノ・ウェルニッケ氏の著書『サッカーはなぜ11人対11人で戦うのか?』(訳・桑田健)が話題だ。
競技の歴史から信じられないような珍事まで網羅した同書は、南米、欧州、中東、北米、アジア……世界中で読まれている。今回の記事では、「22:PK戦の考案者は?」「23:公式戦に出場した最年長の
選手は?」の項を紹介する(以下、同書より一部編集のうえ抜粋)。
22:「PK戦」の考案者は?
FIFAによると、同点の試合の決着をつけるために実施されるPK戦を考案したのは、ドイツ人審判のカール・ヴァルトだった。
1968年のUEFA欧州選手権の準決勝で、0対0で終わったイタリア対ソ連の試合の勝者がコイントスで決まったことに不満を抱いたヴァルトは、1960年代末に自ら主審を務める親善試合が同点に終わった時、両チームがPKを5本ずつ蹴ることを提案した。その直後の1970年、ヴァルトはこのアイデアをバイエルンサッカー連盟にはかった。協会の幹部はこの案を気に入り、徐々にこの方式が広まり始めた。
PKで決まったワールドカップの試合も
最初はドイツサッカー連盟に、続いて欧州サッカー連盟(UEFA)に、そしてついにはFIFAに採用された。この方式で決着がついた最初の主要な国際試合は1976年のベオグラードでのUEFA欧州選手権の決勝戦だった。皮肉なことに、チェコスロヴァキアがPK戦の考案者の西ドイツをそのPK戦で下した。
その一方で、ドイツチーム(1990年までは西ドイツ)がワールドカップの試合でPK戦に臨むと、必ず勝利をつかんだ。最初はこの方式がワールドカップで初めて採用された1982年の大会で、7月8日のスペインのセビリアでのフランス戦だった。
その時、ウリ・シュティーリケのシュートをフランスのキーパー、ジャン゠リュック・エトリがブロックしたが、ドイツの選手がワールドカップのPK戦で決められなかったのはこの1本だけだ。その後は1986年6月21日に準々決勝でメキシコを、1990年7月4日に準決勝でイングランドを、2006年6月30日には準々決勝でアルゼンチンを、それぞれPK戦の末に下している。