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「キレ芸は借金がきっかけだった」カンニング竹山、吉本から3回逃亡した若手時代

暮らし

芸人イジメ、3年間仕事ゼロ…

――めちゃくちゃですね(笑)。仕事がない期間はどれぐらい続いたのでしょう?

竹山:3年ぐらい仕事はゼロ。そうこうしているうちに、ナベプロでの最後のマネージャー が、『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)でバブル中だったMANZAI-Cの個人事務所(フリーフォークス)を設立したので、入れてもらいました。同時に、サンミュージックのお笑い班も自然消滅。でも、ある日急にフリーフォークスが解散になるんです。「今日で解散!」って(笑)。

――事務所間の右往左往が激しい。

竹山:ちょうどサンミュージックに、「ブッチャーブラザーズ」(ぶっちゃあ&リッキーの漫才コンビ)の下、お笑い再始動の話があったので、出戻りました。でも2、3年して、またクビに……。

 簡単にいえば、誰もカンニングを担当したがらなかったんです。そこで会社としてはクビだけど、リッキーさんの責任で預かる、という “リッキー預かり”になりました。その時27歳で、中島は彼女との結婚を本気で考え始めたし、僕は逆に別れたいって言われるし、しかも借金が2人合わせて1000万。本気でヤバいっていうタイミングが、一気に来ました。

初めて相方と膝をつき合わせて話した

カンニング竹山

――いよいよお尻に火がついた。

竹山:そう! それまで中島も僕も現実から目を背けていたけど、初めて膝をつき合わせて話しました。すると「辞めるしかない。でも、どうせ辞めるなら爪痕を残そう」と意見が一致して。

 このまま辞めると、「カンニング」というコンビで漫才をやっていたことを、誰も知らないまま終わってしまう。それは嫌だ。何でもいいから「あんなコンビがいた」って、一人でも多くの人の記憶に残りたい。そこからですね、スイッチが入ったのは。

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