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安倍元首相の「国葬」を「お葬式」と混同する人に言いたい“重要な論点”

ビジネス

要人が亡くなった際の対応。過去の事例は

佐藤栄作

「国民葬」が行われた佐藤栄作元首相 ※首相官邸HPより

 そもそも、要人が亡くなった際にはどのように対応して来たのか? まず前例を確認し、続いて、憲法や法律で決められてるかどうかを確認してみましょう。

 前例を確認してみると、国葬という言葉自体は新しく出てきた言葉ではありません。国葬はかつて行われていましたが、国葬を行うための法令は1947年に廃止されています。戦後は1967年に吉田茂元首相が特例的に国葬でセレモニーを行いましたが、当時も世論が分かれ、執行内容がバタバタと決められていたようです。つまり、根拠となる法令が存在せず、意見が二分されたまま行われていたという前例になります。

 その他の例としては、例えば、安倍さんの大叔父に当たる佐藤栄作元首相。ノーベル平和賞も受賞していて、在任期間も非常に長かった人です。毀誉褒貶は誰にでもありますが、国に貢献したということが広く認められる方です。この人は「国民葬」という形でお葬式を行いました(国と自民党、国民有志が費用を負担)。

 中曽根康弘さんの場合は、政府と自民党の合同葬として執り行われました。ここにも税金が投入されています。中曽根さんは80年代に日本の西側諸国としての地位を確立するため、日米関係の交渉を重ねた元総理大臣です。僕が10代でロンドンにいた頃の日本の総理大臣だったので、海外から見る“日本の顔”的な人でした。

 この2例を見る限り、国葬に関する根拠法はありませんが、戦後の前例として国民葬・合同葬はあります。ここからも、国葬でなければならないという根拠は薄いわけです。

「国葬でなければ警護できない」との謎論理も

 では、なぜ根拠のない国葬を行うのか? そもそも国葬とはなんなのか? 国民葬・合同葬ではダメな理由は何か?という議題が出てくるでしょう。何度も繰り返し指摘しますが、こうした議題が出てきた時に民主主義ではどうするのか?を確認する必要があります。そして根拠となる法が存在しない場合は?

 僕は、適切な手続きを経て決定されるなら、国民葬でも合同葬でも、どの形をとってもいいと思います。そして、どの場合にも税金を投入する割合や、主催者、開催場所や海外の要人への対応も問題になります。国葬なら200人、国民葬なら150人みたいな枠はありません。おそらく、希望者がいた場合、各国政府で調整して来日することになります。

「国葬でなければ警護ができない」という謎の論理も出てきているようなんですけど、これはG20だろうがオリンピックだろうが、海外要人が日本を訪れる機会はこれまでもいくらでもあり、その都度警備体制が敷かれています。国際的に認知度の高い日本のトップが亡くなった場合、当然これまでも偲ぶ会的な儀式では警護が行われています。例えば中曽根さんのときも「今回、国葬じゃないので警護が薄いんで、気を付けて来てください」なんてことはないでしょう。ちょっと考えれば当然のことです。

 逆に根拠法すらない国葬でなら警護できる、という理由も見当たりません。要人警護に関しては安倍元総理銃撃事件そのものが日本の警護体制の重大な失敗だと言えます。あの事件を経ても警護に責任をもつ国家公安委員長も警察庁長官も引責辞任すらしていない。要人警護を話題にするなら、日本の行政組織に資格があるのかも議論する必要があると思います。

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