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安倍元首相の「国葬」を「お葬式」と混同する人に言いたい“重要な論点”

ビジネス

国葬は「お葬式」ではない

テレビ 動画

※イメージです

 今回の国葬に関しては、まず、国葬の定義においてねじれが出てきています。僕はお葬式とは告別式とお通夜のことだと考えます。安倍さんのお葬式はすでに増上寺で行われていて、たくさんの方が弔慰を表すために訪れたり、路上に集まったりして見送っていました。喪主は安倍昭恵さんでした。霊柩車が自民党の本部などを回ってTV中継もされていましたね。

 対して、国葬儀とは何かというと、名前に“葬儀”って入っていますが、お葬式ではないです。僕の定義からいうと、偲ぶ会・お別れ会にあたる儀式です。

 あるテレビ番組で学者がコメンテーターとして出演して「これはお葬式なんだから」と話していたのですが、お葬式という言葉を使うことによって、通夜や告別式のイメージを与えると思うんです。これには、僕は非常に気になってツイートもしました。

 国葬は発表された段階からSNSではハッシュタグ「#国葬に反対します」が登場しましたが、これはお別れ会に反対しているという意味です。しかし、国葬をお葬式という言葉で表現することによって、通夜・告別式を反対しているように見えてしまう。これでは非常に多くの人の倫理観に引っかかると思います。

お葬式とお別れ会を混同するロジックも

安倍晋三元首相

安倍晋三元首相instagramより

 偲ぶ会やお別れ会をするならば、どうやってお金を集めるか、会場をどこにするか、という話になります。そのやり方に関して声が上がるのはあり得ることです。これは、お葬式に反対しているわけではないです。お葬式とお別れ会をごっちゃにするロジックが存在するということ。これを意図して行っている場合は悪質です。

 僕は以前、「国葬はお葬式じゃないですよね? お葬式は増上寺でやりましたよ」という旨のツイートをしたんです。そこでは国葬の是非にはまったく触れずに、お葬式とお別れ会という別物の話をしているのだと整理しようとしたのですが、これが非常に拡散された結果、いろんなリプが飛んで来ました。

 なかには「お葬式は何度やったっていいんだ」というような内容もあり、僕にはお葬式を何回もやるという考え方はないのですが、革新的な葬式観を持っているの方もいるんだなと思いました。

 あえて言えば、現在はお葬式という言葉にすら共通の理解が成立しづらい状況とも言えるでしょう。その上でじゃあ儀式としてならどう行うべきか? まずは「国葬とは何か」を整理する。そして、この時点でもさまざまな意見があるとして「じゃあ民主主義ならどう対応するのか」を確認する必要があります。

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