「あらゆる“渇望”が心を強くする」堀江貴文が語る、孤独だった幼少時代
孤独だったネットに出会う前の僕
もし、「インターネットと初めて出会った大学生の僕」が見せられたとしたら、強く賛同しただろう。そして、タイムマシンがあるならば「パソコンと初めて出会った中学生の僕」にも、このパーパスを伝えたい。そして、こう耳打ちしてやりたい。「その画面の先には、輝かしい未来が広がっているから安心しろ」
インターネットと出会う前の僕は、それほど退屈で、孤独だったのだ。そろそろ、僕の生い立ちをお話ししていこう。多くの著書で明らかにしてきたことだから、ご存じの方も多いだろうが、おつきあい願いたい。
「すでに何度も読んだ」という方は、幼少期から僕が抱き続けてきた孤独感や閉塞感に、思いを馳せてみてほしい。「楽しく生きていくには、こりゃ、心を強くするしかない」という外的な要因のオンパレードなのである。
1972年10月29日、僕は福岡県八女市の片田舎に生まれた。両親と父方の祖母との4人暮らしで、父親は典型的なサラリーマン。高校卒業後、地元のトラック販売会社に就職した人だ。趣味は野球観戦。休日には遊園地などにも連れていってくれる、なんの変哲もない普通の父親だった。
放課後に突然、道場に連れて行かれたことも
とはいえ、「父と過ごして楽しかった」「父と気持ちが通じ合った」というような瞬間は、あまり記憶にない。野球で巨人が負けると機嫌が悪くなり、肩をもむよう命じられたとき。それをイヤがって反論すると、「せからしか!」(「やかましい」という意味の福岡の言葉)と平手打ちされたり、庭の木に縛りつけられたり……。マイナスの思い出のほうが多い。
また、母親の厳しさは父親以上のレベルだった。僕が物心ついたときから、受付事務や経理など、勤め先をいくつか変えながら働き続けていた“ワーキングマザー”だったが、激しい性格の人で、独断で物事を決めたり進めたりするようなところがあった。
たとえば小学1年生のとき。放課後に突然、柔道の道場に連れていかれ、好きでもないのに週3日通うことを強制されたのは、特につらい思い出だ。柔道がイヤすぎて練習をサボったときには、家から閉め出されたことすらあった(そのときは深夜営業をしている喫茶店のドアの前でうずくまっているところを、店にいた大学生が運良く見つけてくれて、家の中に入れるよう母親を説得してくれた)。
実の親をディスりたいわけではないのだが、僕は両親に対して「同居人」という感覚しか持てなかった。正直に言うと、寂しかった。家族の温かさに飢えていた。衣食住こそ満たされてはいたけれど、大きな楽しさや喜びを周囲から与えてもらったことがほとんどない。そんな幼少期を僕は過ごした。