現役慶應大生、ネグレクト被害者から支援者に。行政も救えない「孤独」との闘い
初めて社会問題に関心を持った瞬間
私は「これだ!」と思った。まさに心のバランスを崩し、不安定な状況下で、新たな人間関係を築きづらく、何か問題を抱えたときに誰にも頼れない状況が生まれてしまう、ひとり親家庭の子どもたちにとって画期的で、かゆいところに手が届く素晴らしいアイデアだと思った。
当時住んでいた隣の市のホームページでこの事業が紹介されていたので、早速、前年度の実績を見てみた。するとそこに表示された数字は「1件」。その市においては1年間で1件しか児童訪問援助員の派遣が行われていなかったのだ。さらに同じページには、児童訪問援助員の派遣には市による面接があるとの説明があった。ひとり親の子どもが派遣を希望しても、必ずしも全員に援助員が派遣されるわけではないということだ。
これが、私が生まれて初めて社会問題に関心を持った瞬間であり、同時に何年かかったとしても大学へ進学しようと強く決意した瞬間だった。
自分こそが動かないといけない
せっかく勇気を出して相談しようと思っても、相談までの道のりが長く、また必ず親の関与があるこの事業は、ひとり親家庭の子どもたちを救うために有効とはいえない。
私は幸いにも高校で恩師A先生と出会い、少しずつ精神的にも回復の途上にあったが、バイト先の人たちはそうではない。また、ひとり親家庭で親には頼れず、ひとりで悩み苦しみ、命を絶とうとしている子どもたちが、なぜ行政による面接を受けないと、頼れる人にアクセスできないのか。
私は怒りにも近い感情を抱いていた。奇跡的にA先生と出会って地獄のどん底から何とか這い上がりつつある私こそが、動かないといけない。過去を抱えていつまでも悲観的になるのではなく、自分の人生のすべてを、自分と同じような境遇にある人たちのために使いたいと思った。そのためには、大学に入学して学ばなければならなかった。