東大卒ITベンチャー取締役が、ベルリン銀熊賞『偶然と想像』に携わった背景
2021年12月17日からベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した濱口竜介監督の『偶然と想像』が全国の劇場で公開されます。同作品のプロデューサーはITベンチャー企業NEOPAの取締役の高田聡さん(44歳)。
濱口監督とは在籍していた東京大学の映画研究サークルで知り合った高田さんは、卒業後、IT企業のプログラマーとして就職し、「映画を作ろうとは思っていなかった」といいます。しかし、濱口監督が大きく注目されるきっかけとなった『ハッピーアワー』(‘15)からプロデューサーとして製作のサポートを始めます。
IT企業の経営者の高田さんがなぜ映画製作に携わるようになったのでしょうか。今回は、映研時代の濱口監督とのエピソードや映画プロデューサーとなった経緯、そして『偶然と想像』の見どころなどについてお話を聞きました。
柔道部の普通の少年だった
――高田さんは映画研究サークルで濱口監督に出会っていますが、映画は好きだったのでしょうか?
高田聡(以下、高田):僕は島根県の出身なのですが、家の近所に本屋と一緒になったビデオレンタル屋があるぐらいの田舎でした。映画は好きでしたが、映画館に頻繁に通って映画を見ていたわけでもない。決して「シネフィル」ではなかったです。
ただ、中学生の時に遊びで、友達の家のビデオカメラを借りて小さな映画を作っていました。また、マンガも描いていたのですが、絵が下手過ぎるということに気が付いて漫画家は諦めました。ジャンプ全盛期でしたが、そこからは少し外れて、高橋留美子さんの『人魚の森』が好きだったのですが……。
部活で小学校から高校の途中まで柔道をやっており、いわゆる「文化系」の学生でもなかったです。
大学に入って映画漬けに
――高校を卒業した後、東京大学文学部に入学します。
高田:とりあえず東京に行きたいという思いで東大に入りました。哲学や文学など文系全般に興味があったので文学部にしました。そして、入学した後の進路選択の時に映画で卒論が書けるという噂を聞いて、文学部の美学芸術学を専攻しました。
――そして、濱口監督とは映画研究サークルで出会います。
高田:映画研究会に入ったのは映画が好きだったからなのですが、入会してからは怖い先輩に「あの作品見た? この作品見た?」と質問攻めにされました。そして、それらの作品はもちろん見ていませんでした……。そこから名画座をチェックしたりTSUTAYAでDVDを借りて来ては見続ける日々が始まりました。
そこで古い作品で名作と呼ばれるものが山ほどあるということに気が付きました。100年以上続いた映画の歴史の中で「これ面白いよ」と言われたものを、入手できるものは片っ端から見ていました。映画批評家の蓮實重彦さんは、僕が入学した時にちょうど東大の学長になりました。なので、授業を受けることはできませんでしたが、当時は蓮實さんの影響を受けている人が多く、僕も本を読んでは映画の新しい見方に気が付いたりしました。