日本一安い「ロードサイド電気街」が生まれた3つの理由。北関東YKK戦争の激戦地にも
茨城県つくば市にあった電気街「つくば電気街」が、今年2021年8月15日の「コジマ学園都市店」の閉店によって約30年の歴史に幕を下ろした。
国内では珍しい「ロードサイド型の電気街」として、かつては「秋葉原より安い」「日本一安い」電気街として関東各地から大きな集客を呼ぶほどにまでなっていた「つくば電気街」。
この「つくば」という地にこれほどまで大きな電気街が生まれることとなったのは一体、なぜであろうか。本連載「あなたはつくば電気街を知っているか」はその歴史を紐解いていく。
今回は「なぜつくばの地に日本最大のロードサイド型電気街が生まれ、急成長を遂げることになったのか」を解明していく。
全てのきっかけは「筑波大学の誕生」だった
つくばに電気街が生まれた最も大きな要因として挙げられるのが、予想に難くないことであろう「筑波大学の開学」だ。
筑波大学の開学は1973年のこと。江戸期の昌平坂学問所、そして明治期以降の東京師範学校を前身とする国内で最も古い大学であった「東京教育大学」(本部:東京都文京区)が複数に分かれていたキャンパスの統合と広大な敷地の確保を理由として、筑波研究学園都市構想に沿って現在の地に移転したものであった。
“秋葉原系”の家電量販店が相次ぎ出店
移転開学当初は文系・医系中心であった筑波大学であるが、キャンパスの建設が進むごとに学部も増え、1977年には社会工学類・情報学類・基礎工学類からなる第三学群(現・理工学群)が、1981年には大学院博士課程工学研究科が設置された。この理工系学部・大学院の設置により、つくばには東京出身者を中心とした理工系研究者が多数住むことになった。
当然、理工系研究者はパソコンやワープロといった情報機器を求めたが、まだコンピュータが一般家庭に普及する前のことで、専門的な商品を手に入れたいときは都内、とくに秋葉原の電気街まで行く必要があった。しかし、つくばエクスプレスが開通するのは2005年のこと。当時は秋葉原には気軽に行ける時代ではなかった。
そこで、1980年代以降、「サトームセン」や「石丸電気」など「東京出身者にとってなじみが深い秋葉原系の家電量販店」が相次ぎ出店した、という訳だ。こうした秋葉原に拠点を置く家電量販店は情報機器の品揃えにも強く、秋葉原の旗艦店から商品の取り寄せをおこなうことも可能であった。