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「日本が特別は言い訳」“スウェーデン出身”ボルボ日本法人社長が語る仕事観

ビジネス

 新しく電気自動車(EV)専用モデルを発売したボルボ。2020年10月にボルボ・カー・ジャパンの代表取締役社長に着任したマーティン・パーソン氏は、スウェーデン・中国・ロシアでボルボの重要なポストを任され、世界を股にかけて活躍してきた。

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ボルボ・カー・ジャパン株式会社の代表取締役社長、マーティン・パーソン氏

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 しかし意外にも、新卒で入社したのはボルボ・カー・ジャパンの前身であるボルボ・ジャパン。つまり、ローカル採用の現地社員として日本でキャリアをスタートしたのだ。

10年間、足立区の北千住に住んで、日本人のように働いてきたんですよ」と笑顔で語るマーティン氏。スウェーデン出身の彼がなぜ、日本で働くことになったのか。豊富なビジネス経験のなかで、どのようなことを学んだのか。インタビュー前編では日本のEV市場について聞いたが、後編ではマーティン氏のキャリアについて話を聞いた。

明治大学経営学部で1年間の交換留学

 1996年、当時スウェーデンの大学院生だったマーティン氏は、交換留学生として来日した。昔から海外で学ぶ意思はあったというが、留学先を日本にしたのは“偶然”だった

「私の大学ではドイツ・フランス・日本が留学の選択肢としてあったんです。だけど、ドイツ語は話せたし、フランスにはあまり関心がなかったので、日本になりました」

 消去法で日本への留学を決めたマーティン氏だったが、自ら「チャレンジ好き」と話す性格が幸いし、日本への興味を強くする。「日本はスウェーデンから遠くて、語学も難しい。こういうチャレンジを受けて立ちたい」という思いを胸に、明治大学経営学部の門を叩く。

英語の授業のはずが、すべて日本語

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日本の現地採用から本社に異動し、社長として戻ってくるのは異例の出世だという。マーティン氏は「ステップ・バイ・ステップです」と話す

 しかし彼の前には、予想外の壁が待ち構えていた。なんと、英語で学べる授業がひとつもなかったのだ。

「私の大学と明治大学が“ミスコミュニケーション”をしていたんです。私は英語で行われている授業があると聞いていたんですが、実際には、私が受ける授業はすべて日本語で行われていて。だから私の日本語能力は必然的に養われていきました」

“実践形式”で日本語を学び、1年間の交換留学を終えてスウェーデンに帰国。その後、スウェーデンの大学院を卒業した。が、マーティン氏は日本に心を残したままだった。もっと日本語を学びたい、そして日本で働き続けたい――。そう考えた彼は、ボルボ・ジャパン(現ボルボ・カー・ジャパン)に現地採用枠で入社する。

「本社から派遣されてくる外国人とは異なり、日本人と同じように雇われました」。1999年から10年ほど日本で働き、その間にマーケティングディレクターまで昇進した。

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