我慢ばかりの緊急事態宣言はもう限界。閉塞感の中で何を考えるべきか/常見陽平
筆者も今年は都内から出ることを断念
都道府県をまたぐため、お盆の時期に帰省できなかった人たちもいるだろう。しかし、移動のすべてが悪いわけではなく、なかには、介護のためやむをえず帰らざるをえなかった人たちもいるはず。筆者も北海道に住む高齢の母親が気がかりであったが、結局、都内から出るのを断念した。
テレワークも、いまだ答えが見えない。正直、小池百合子都知事が進めるテレワーク対策は、菅義偉総理や西村康稔経済再生担当大臣の提唱するものよりは認めたいものの、会見で記者たちを一同に集めるのはどうがと思う部分もある。
また、初めての緊急事態宣言以降、政府や自治体が考えるものと現場レベルの実態をみると、その認識の差はいまだ埋まっていない。民間では各所で独自の調査が進められており、企業ごとの導入率や運用率が算出されている。業種や職種、企業規模により状況は様々であるが、テレワークでまかなえる部分と、どう頑張っても無理な部分が明らかになりつつあるが、政府や自治体がどれほど把握してるのかは疑問だ。
対面講義では前向きな学生たちを見かけるが…
大学教員でもある筆者にとっては、秋学期以降がどうなるかも切実な問題だ。教えている千葉商科大学では、少なくとも筆者の担当する夏までの講義は奇跡的に対面で行うことができた。
昨年続いたリモート講義の反動からか、学生たちが前向きに勉強へ取り組み始めた印象もある。それは喜ばしいことだが、反面、全国的にみると、大半の大学生が思い描いていた大学生活を送れていないのも教育に関わる者としてやはり気がかりだ。
社会は今後どうなっていくのか。そして、私たちはどうするべきなのか。コロナの終息もほど遠く見えるが、それに近い脅威がまた現れないとも言えない。地政学的に安全保障上の懸念が残るなら、これからもオンラインやむなしの世界が続く可能性もある。そう考えると私たちも、生き方をいま一度見直していかなければいけない。
<TEXT/千葉商科大学国際教養学部准教授 常見陽平>