我慢ばかりの緊急事態宣言はもう限界。閉塞感の中で何を考えるべきか/常見陽平
かつての日常は戻ってくるのか。コロナ禍で先行きの見えない現在、東京都や沖縄県はじめ、全国的な感染爆発が起きている状況下で、都市部や感染拡大エリアの緊急事態宣言が解除されるきざしは見えない。
2021年7月12日から発令されていた「4回目の緊急事態宣言」は、当初8月22日までとされていたものの、2度の延長を経て、19都道府県で9月30日まで延長されることになった。閉塞感漂うこの状況下で私たちは、何を考えるべきなのだろう。
宣言下で見えてしまう人びとの意識差
2020年4月に初めて発令された当時と比べると、街中を見ても、人びとの緊急事態宣言に対する警戒心はだいぶ薄くなった。ロックダウンのできない日本では、それ自体に強制力はないし、最終的には自己判断が求められる。
ただ、いずれにせよ街中では路上で笑顔で会話を交わしながら宴会に興じる人たちもいれば、終わりのない宣言にしびれを切らし、通常営業を再開して酒類を提供している飲食店も実際にある。こうした状況をみると、宣言そのものはもちろん、政府や自治体に対する私たちの信頼が崩れてきたのがよく分かる。
宣言を受けて、行動を制限しなければと危機感を持つ人もいれば、そうでない人もいる。SNSの情報を見ても、感染者が増える中では「医療がこんなにひっ迫している」「近所でクラスターが発生した」といった情報や、友人や知人がコロナ患者となり写真付きで「こんなにもひどい目に遭っている」とつぶやく人など、反応は様々だ。
我慢ばかりの対策もそろそろ限界
一方で、呼びかけに対してしらけている人たちもいて、結局は「自分の身は自分で守るべき」となっている風潮には、けっこうな危険もひそむ。筆者自身は、コロナ関連の現実的な情報をFacebookのグループ経由で知る機会が多い。報道の及ばない範囲の声が頻繁にやり取りされていて、先日も実際に「近所の有名なスーパーでクラスターが発生した」という投稿を見た。
オリンピックを境にして、現状に不満を述べる声が目立ったのも事実だ。選手たちの頑張りを認めつつも、大会を開催した裏では「僕らは我慢している」と嘆く声もあった。一方で、子どもたちの運動会や発表会を応援する親たちもいたりと、対応も様々だ。
正解の見えない中で「あなたはどう思う?」と聞かれても答えられず、ただただ、目先の対策ばかりで「我慢しろ」と言われることに、限界が来ている人たちも少なくないだろう。