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「春は嫌いだ」100人に1人が抱える吃音症。4人の当事者たちの声

暮らし

「『二重スパイ』のような感覚だった」

 吃音の当事者サークル「東京大学スタタリング」を立ち上げた山田舜也さんは、当事者会や演劇を通じて、吃音と向き合っている。

僕は小学生の時『言葉の教室』という特別支援学級に通っていました。吃音を持ちながら生きる上でのレジリエンス(逆境に負けないしなやかさ)を養ってくれる、当時としては質の高い教育を受けることができたと思っています。

 中高時代、吃音の症状が悪化し、からかいも受けました。でも、思春期に『吃音だから』という理由で過度な自己否定に陥らなかったのは、子どもの頃に、さまざまな当事者たちの『生きた物語』にたくさん触れ、吃音について自分の言葉で語ることができたおかげだと思っています。

 しかし、20代になってから、『吃音者であること』に再び当事者性を見出します。今から思うと、僕を追い詰めていたのは、吃音についてのスティグマ(負のイメージ)と、その場での表面的なそつなさを求めるコミュニケーション能力主義でした。他者や自分を『コスパ』や『スペック』で判断をする新自由主義的な価値観と言える気がします」

吃音症

山田舜也さん。演劇のほか、チェスや落語にも精通。「誰もが尊重される社会になるために、やや過激かもしれませんが、『どもるアナウンサー』『どもる俳優』がメディアに出てもいいのではないでしょうか」

 居場所を見つけるため、吃音を隠し、わざと適当なキャラを演じるなどしていた山田さん。当時感じていた違和感を「二重スパイ」と表現する。

「無自覚に内面化した規範によって、生きづらさの被害者にも加害者にもなってしまうという体験は、不条理劇の構造ともよく似ています。自由になれたきっかけのひとつは、2018年に劇作家の平田オリザさんが主宰する無隣館に参加し、『どもりながら、芝居を上演した』という経験です。落語『粗忽長屋』をアレンジした一人芝居を演じました。一般の観客を前にした有料の公演で、僕にとって、『どもったままで、自分らしい表現ができた』という体験でした。

 どもったままで演じる『覚悟』ができたのは、多くの吃音者と対話を重ねるなかで、『どもったままで、人は、尊重されてよいはずだ』という考えに至れたからです。お互いの体験や思いを言葉で丁寧に拾いあう、対話を通じて、『自分が何に追い詰められていたのか』に気づき、『どうしたら自由に生きられるか』をごまかさずに考えることが大事な気がします

吃音に生かされてた。悩みが消えても……

 この春、吃音から“卒業”した人もいる。自身の吃音体験を赤裸々に語った動画をYouTubeに投稿したプログラマーのミノリハさん@mnr_ha)だ。

「私が悩んでいたときは、まったく吃音の情報がなく、見つけても更新が止まっていて、『もう、なんで!』という気持ちに。だから吃音の情報サイトを自ら立ち上げようとサーバーを契約し、準備していました。

 でも今は吃音の情報は手に入りやすくなったので、私がつくらなくてもいいかなっと。サーバーを解約したタイミングで、これまでの自分や吃音から卒業しようと動画を撮りました。反響が多く、『次はいつアップされるのですか?』と質問されますが、この動画が卒業式だったので次の予定はないんです」

 吃音当事者の集まりがあれば、ミノリハさんは地元の関西だけでなく、全国に足を運んでいた。吃音のことを知りたくて、高校卒業後は言語聴覚士の学校に入る。

「はじめは吃音をなくしたいと思っていました。でも練習や工夫でスラスラ話しても、今度は本当の自分を隠している罪悪感が強くなってきて、次第に『どもりたい!』って思うようになり、さらに『どもらなければ!』とまでなりました(笑)

 そんなとき、とある吃音当事者の方が、『どもってもいいやと思ってしまえば、どもっても、どもらなくてもどっちでもいい』と、当事者会でサラッと言われたのを聞いたとき、私の20年間の悩みがフワッと取れましたね。その瞬間は晴れ晴れしてたんですけど、1週間くらいたったら、すごく空虚で無気力に。自分から吃音を取ると何も残らないように思えてきたんです。やりたかったことを吃音のせいで随分と諦めてきたから……かえって、知らない間に吃音を頼って生きていたのかもしれません」

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