話せばわかるは幻想。ベストセラーに学ぶ「疲れない人間関係」
しばしば、「本当の友だちがいない」なんて悩みを聞くことがあります。あるいは、「彼氏は、本当の私のこと、わかってない」といった女子の愚痴。
「本当の友だち」「本当の私」ってなんだよ!? というツッコミは置いておいて、こう語る人たちが求めている「絶対的な受容」など、そもそもありえず「ないものねだり」だったということです。
「みんな仲良く」はしょせん無理
また、本書では、童謡『1年生になったら』に象徴されるような、「みんな仲良く」も幻想だと言います。
かつて、日本のムラ社会にあった「同調圧力」は、いまだ、学校や会社などの組織に根強く、相変わらず「一緒にいる」ことが大事にされています。
しかし、同じような人が集まっていたムラとは違い、今はいろいろな人がいます。
「自分とは違う振る舞い方、自分とは違う考え方や感じ方をする人々といっしょに過ごす時間も多く」なっているわけで、「みんな仲良く」は美しいかもしれないけれど、しょせん、そんなことは無理。
むしろ、「気の合う仲間とか親友というものに出会えるということがあれば、それはじつは、すごくラッキーなこと」だと考える。
お互い傷つけ合わずに共生できる作法
そして、集団の中に必ずいるであろう、気に合わない相手、好ましいと思えない人間と「『お互い傷つけ合わない形で、ともに時間と空間をとりあえず共有できる作法』を身につけるしかない」と、菅野さんは「併存性」のススメを説くのです。
「ちょっとムカツクなと思ったら、お互いの存在を見ないようにするとか、同じ空間にいてもなるべくお互いに距離を置く。
ただし、露骨に“シカト”の態度を誇示するのも、攻撃と同じ意味を帯びてしまうことになります。朝,廊下や教室で会って目があったりしたら、最低限の『あいさつ』だけは欠かさないようにしましょう。あくまでも自然に“敬遠”するというつもりでやってください」
「『親しさか、敵対か』の二者択一ではなく、態度保留という真ん中の道を選ぶということ」で、これは、サラリーマンにとっても社内の処世術として役立つスキルではないでしょうか。