息子2人が東大に。シングルマザーの元フジテレビ管理職が語る、子育て観
1994年12月6日、フジテレビの報道記者でカイロ支局長だった夫を、取材中の小型飛行機墜落事故で亡くした、入江のぶこさん。帰国後は、フジテレビでバラエティ制作、フジテレビキッズなどを担当し、女性部長職としてマネジメントも行った。現在は退職し、東京都議会議員として活躍中。
2021今年2月に配信した記事<専業主婦からフジテレビ管理職になった私が「若者に伝えたいこと」>は、とある配信先では1000件以上のコメントが寄せられるなど大反響。続く2本目の記事では再婚→離婚から学んだ大切な経験を、今回3本目は子育てについて、当時の気持ちを赤裸々につづる(以下、入江氏寄稿)。
目を合わせてくれなくなった長男
前回も書かせていただきましたが、夫の死後、優しく寄り添ってくれた夫の元上司の方に依存してしまい、一度は結婚したものの、その後、離婚しました。
この経験は私に経済的自立の大切さ、そして「自分以外に頼れるものはいない」という考えをより強くするきっかけになりました。
息子たちは養子にせず、ずっと亡くなった夫の姓のままでしたが、新しい父親らしき人がやってきて、言葉の暴力があり、去っていくという経験はつらいものだったと思います。特に長男は母親としての私の生き方を客観的に見ていたのでしょう。中学生になる頃には目も合わせてくれなくなったのです。
反抗期でも変わらずに話しかけ続けた
「この子はもう2度と私と目を合わせて話してくれないかもしれない」。そう思うほどの反抗期でした。期間も長く、高校に入っても続きました。
暴言を吐いたり、暴れたりはしなかったですが、目は合わせないし、今まではあんなに話してくれたのに、せいぜい「そう」「分かった」ぐらいしか答えてくれません。忘れられないのは中学校の卒業式です。「お母さん、写真撮ろうよ」と無邪気なお子さんもいる中で、うちの息子は私とすれ違うことすら嫌という感じでした。
私にとっても辛い時期でしたが、自分の態度は変えないようにしようと、返事がなくても今までと変わらず、話しかけるようにしていました。
考えてみたら、6歳で父親が亡くなって日本での生活が始まった長男には、次男の世話もあるために、ずいぶん頑張ってもらっていました。その上、父親のような人が現れたと思ったら言葉の暴力で傷つけられて、負のエネルギーが違うことに向かってもおかしくなかったはずです。
そんなざわざわとした環境の中で、自分がやるべきことを考え、受験を乗り越えたのは息子の強さだと思います。大学に入ってから一人暮らしをしていて、今は頻繁には会いませんが、会えば、いたわりの言葉をかけてくれるようになりました。次男には長男のような反抗期はなかったので、成長の過程はそれぞれ違うものだなと実感しています。